決してね、人が嫌いとかではなくて

その人間の営みとか、習慣や制度が信用できないと思っています

それは、人間のやることが、「気持ち」に左右されるからなんです

ですから、自分の考えや思考も、絶対のものではなく、変わっていきます

 

世の中には、数学や物理や科学というもので定義されるものと

そうでないものが存在します

定義が可能なものは、ほぼ、その法則通りに働き、動いていきます

ですから、10進法を採用している世界では「1+1=2」であって、ほかの答えはありません

 

つまり、人間の営みと言うものは、その定義から外れていて

それぞれの思いや、思考と言うものに左右されますから答えがひとつではありません

よく、「1+1が2だとか思うなよ、それはいくつにもできるんだ」みたいな

表現を文学作品や劇中で見ますが、そっちのほうがおかしくて、答えは2以外にないんです

 

ですから、人間が考えることはふり幅も大きいし、そもそも、定義自体が変わります

だからこそ、面白いということも言えるのかもしれませんが

裏返すと、まったく「信用できない」ということです

宗教や哲学や、法律、経済などあらゆることがパラレルで存在します

 

神様が人間を造ったという概念は、覆されています

創世以前から、「ヒト」の痕跡もありますし、ダーウインが進化論を示した時から

すでに、その定義が破綻しているのに、未だに信じている人たちが存在する

根本の定義が崩れたときに、そこから派生するものはすべて否定されるべきです

 

それは、1+1=2ならば1×100=100なのですが

1+1≠2というふうになれば、1×100=100にはならない

根本の定義が成り立たなくなれば、成立しなくなるのに

人間の世界では、それがパラレルで存在できます

 

ですから、「信用できない」という結論になってしまうのですが

そもそも、人間がいなければ、定義できる数学とか科学とかそういうものも無意味です

自然のままに生きている動物たちだけの世界になれば、あらゆる定義は無意味です

だから、「確かに面白い」んだけれど、「信用はできないよ」ということです