今日の広島市の朝は、薄曇・気温28度とのこと。
広島平和記念式典に出席する方々にとっては、少しは過ごしやすい天気になったようです。

被爆体験を学習する機会、広島と長崎以外の地域では殆ど無い。
記念式典中継すら、当地以外では、NHKしか中継していないという。
なので、「原爆」というものそのものを知らない…昔、日本がアメリカと戦争をした事すら知らない若者がいる。
そういう現実を、郷里を離れるまで実感することはなかったのですが…

6月23日 沖縄慰霊の日
8月6日 広島原爆の日
8月9日 長崎原爆の日
8月15日 終戦記念日

これに、各地の空襲等戦災に遭った日を加えて、世界平和に関して考える日にして欲しいな、と思います。
せめて、戦災に遭われていない地域でも、終戦記念日だけでも、祈りの日として欲しい。

ちなみに、私の郷里の呉は、主要な軍港(戦艦大和を造った所でもある)であったこともあり
何度も空襲されています。
特に市街地に関しては7月1日~2日の夜中、0時過ぎに大空襲に遭っています。
そのため、呉市では7月1日は「呉空襲犠牲者慰霊・恒久平和祈念の日」と定められ、
12時15分から1分間、慰霊のため市街地にサイレンが鳴ります。
そういう事が、当たり前の地域でした。
だからこそ、毎年毎年、このシーズンには、同じような日記を綴っています。

**********************************

鎮魂と祈り…これは全くの同意ではないな、と大人になってから考えるようになりました。
犠牲者への鎮魂は勿論重要で、これは忘れてはならないこと。
しかし、祈りは、過去だけの物ではなく、未来へ向けてのものが絶対的に必要であると思うのです。
それが、現在を生きる私たちに与えられた課題なのかも…。

戦争の犠牲者は、軍人だけではなく、当然一般人も含まれます。
徴兵で一般人から軍に入れられた人も多いですし、爆撃で亡くなったり、物資不足による医療の不足や飢餓で亡くなった人。
それに、虐待によって亡くなった方も忘れてはなりません。

他国に対しての侵略や虐殺について、諸説ありますが、これはどの国でも行われ、日本も加害者として糾弾されている事は広く知られています。
そこに至る経緯や真相には、まだ異論もあるようですが、類似した出来事はあったのは事実ではないかと思います。
また、日本本土でも、同胞であるはずの地域内での「非国民に対するいじめ」で亡くなった方もいらっしゃるのです。
過去は消す事が出来ない。 ただ、それを知り、考え、反省し、学ぶ事はできる。

ヒトは弱い。 特に、心はとても弱い。
弱い…というより「流されやすい」と言い換えた方が良いのかもしれませんが。
戦時中は「お国の為」「富国強兵」のためには、個人はどんな犠牲も厭うことは許されない風潮でした。
自らの命でさえ特攻という名の強制死(零戦、回天など、検索すれば色々な情報が得られます)をさせられていたのですから。
日本中が「それが正義だ」という風潮の中で、「命を大切にしよう、他者(国)を尊重しよう」などとは、到底言えるはずも無い。
どれが正しい事なのか、判断できなくなってしまうでしょう。
そういうヒトの本質を、私たちはもっと知るべきだと思うのです。

いま。
ネットが普及し、世界中の情報があふれる社会になったけれど。
内乱が起きると、その国では、まず一番に情報が封鎖されます。
私たちが触れている情報が「都合よく切り取られ、イメージを作られたもの」ではないという保証はないのです。
それが「全て」ではない可能性を疑い、他の視点からも考える事が必要な場合もあるのです。

私たちはまだ、地球上から、紛争(戦争)がなくなっていない現実を、どう考えるべきか。
平和な星への実現に少しでも近づくために、何ができるのか。
少しずつでもいいから、学び、実践していかなければならないと思っています。

**********************************

◆今朝のNHKで見たこと。
アメリカのスミソニアン博物館の原爆展示写真があります。
焼け跡に、家族の消息を知らせる看板を立てている写真…住所は「五日市 楽々園(広島の地域)」
ところが、それにつけられた英語の説明文には「Nagasaki」。
広島出身の男性がこれを見て激怒、日本の友人に電話をしてきたそうです。
「こんなにも、認識が違うのか、その程度の扱いで良いとされているのか」
やるせない気持ちになったそうです。
その思いを受け、その友人(コピーライター)はネットにフラッシュ作品を公開したり、
音楽家や作家などのクリエーターに呼びかけ、今日、東京で平和を考える集まりを催すことにしたそうです。

きっと、大規模な物ではなく、小さな一石なのでしょう。
しかし、一石が広げる波紋で、人々の心の片隅に何かが残り、意識が少しずつでも変わっていくことに意義があるのではないかと思います。

◆先ごろのネットニュースで。
「はだしのゲン」の英訳版の最終巻が発行されたそうです。
各国語に訳されたこの作品は、少しずつでしょうが、他の国にも原爆投下の悲惨さ、家族の悲しみを知ってもらえることでしょう。

◆原爆の恐ろしさは、「その日」だけではなく、「放射能」というものもあるということを、もっと知るべきだとも思います。

爆弾は使用される範囲は限られていますが、放射能は私たちの生活にも深く関わっています。
病気治療など、平和利用には必要なものですが、使い方を少しでも誤るととても怖ろしいものだという事を。
チェルノブイリ原発事故の時、もっと人々がその事を知っていれば…
その事故後の被曝(被爆ではない)された方々の情報に触れる機会も、もの凄く少ないと思います。

情報は、本当に大切な物だと思います。