今年もこの日がやってきました。
広島に生まれ育った私にとって、
鎮魂の祈りと、平和を強く願う日。
「ヒロシマ」の日です。
毎年毎年、「またかよ」と思う方もいるでしょう。
しかし、またかよ、と言える現在を支えているのは、かりそめにも戦場になっていない日本があるからで、
それを維持する努力というものを続けていなければならないことも、忘れてはならないと思うのです。
別に、原爆だけを特化して考えているつもりはない。
平和について考える日は、人それぞれ。
8月6日でも、9日でも、15日でも、その他の日であっても、勿論いいと思うのです。
ただ、誰もが一年に一日くらい、厳粛な気持ちで、「いま」について考える日があってほしい。
私自身が忘れることがあってはならない。
そう思っているだけ。
その日が、広島の子である(あった)私にとっては、「8月6日」。
この日に書く日記は、この話題以外ありえないのです。
私の世代の「広島の子」は、「青い空は」という歌を習って、この日に歌ったりしていました。(合唱曲です)
今でも歌う事があるのかな…?
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青い空は青いままで 子ども等に伝えたい
燃える八月の朝 影まで燃え尽きた
父の 母の 兄弟達の 命の重みを
肩に背負って 胸に抱いて
※子供等(こどもら)=子供達、という意味です。
※「青い空は」
詳しい歌詞と、曲を聞いてみたい方はこちら↓(注:音が流れます)
http://bunbun.boo.jp/okera/aaoo/aoisoraha.htm
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3番では、
「平和と 愛と 友情の 命の輝きを 」
と歌われます。
現代の子にとっては 「クサくてとても…」 という感じかもしれませんが、
今の自分があるのは、間違いなく父母やそのまた前の祖父母たちがいたからで、
周囲に兄弟や友達がいることで成立してきたのだ、ということを、少しだけでも感じて欲しいな、と思います。
人は弱い。
独りで耐えられる人は、まずいない。
独りで生まれて生きるということはありえない。
でも、人は強い。
ひとりの力が、ひとりの言葉が、他の誰かを支え、生かすことができる。
陳腐であっても、素晴らしい真実だと思う。
そう信じてきたし、自分もそうありたいと願っている。
これからも、人が人のために、お互いを生かせる世の中になっていきますように。
今日も、空は青いままでありますように。