今日の放送、アンビリーバボー見た方もいらっしゃると思います。


車椅子の青年と、パニック障害を患った少女のお話。


あの青年が事故にあった頃、広島の小さな街では、結構噂になっていたのです。

事故に遭った公園(グリーンピアだったと思う)は、地元ではよく、小中学校の遠足などに利用されていた施設でした。

そして、そこでスポーツ万能、将来をかなり嘱望されていた少年が、トランポリンで事故に遭い、殆ど寝たきりになってしまったこと。

誰のせいでもなく、自分の行動によって遭ってしまった(普通に飛ばず、難しい技をやってみようとした)とう事。

将来のこと。

全部が、彼をどんなに不安にし、傷ついているだろう…と、見知らぬ子の話でしたが、心のどこかに引っかかっていたのです。


スポーツや事故によって、障害を持ってしまったという話を聞くたびに、彼の話を思い出していました。

彼は、絶望したあと、どんな人生を送っているのだろうかと。

しかし、ニュースというものは、「その後の人生」を報道する事は、まずありません。

一生知る手立てなどないと思っていました。


そして今夜。

何気なく見ていたこの番組で、「良く似たシチュエーションだなあ」と見ていたら。

お母様の話す、広島弁のイントネーション。

まさか、と思いました。


そして、確信しました。

彼だったのです。


彼の顔を、初めて見ました。


そして、お話は、「その後の彼」をしっかりと伝えてくれました。


少女との運命的な出会い。

苦しみ、励ましあった二人の事。


介護タクシーをはじめたこと。

車椅子ダンスで、世界選手権3位という成績を収めたこと。


素敵な女性になった彼女と、立派な青年になって、晴れて結ばれたこと。


いつも、この番組で見ていた感動、とはまた少し違った 涙が流れた。


「よかったねえ…頑張ったねえ」

思わず、誰もいないのに、テレビに向かってつぶやいていました。


広島の片隅で、見も知らない女が、そんな事を思っているなんて、彼や彼女は一生知らないでしょう。


でも、本当によかった。


ニュースでは、伝えきれない事がある。

ニュースの後にも、人々の人生は繋がっている。


あきらめちゃ駄目だ。

どんな逆境にあっても、自分に出来る事は何か、考えなきゃ駄目だ。


努力はいつか、暗い夜が明けるためのエネルギーになる。


「君が死ぬのなら、僕はその自由に動く手足がほしい」

彼が彼女を叱咤激励した言葉。

きっと彼女には深く暖かく心に届いた事だろう。

その彼女の笑顔がまた、彼に希望を与えているのだろう。


私も、彼らに力をもらったような気がした。


頑張れ、阿田くん。

頑張ろう、わたし。

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