今日は、8月6日。
世界で始めて原子爆弾が投下されて、60年目の年である。
平和記念(祈念)式典が、今年もまた蝉時雨の中、おごそかにとり行われた。
毎年、多くの方々が、ここ広島に訪れる。
今年の広島市長平和宣言で、『決意の時である』『殺すなかれ』『子供を殺すなかれ』『被爆者の志を受け継ぎ~平和への道を~決意していかなければならない』という言葉があった。
第一回(昭和22年、原爆投下から2年目)の「平和祭」では、『平和への道を邁進(まいしん)し』という内容の宣言だった。
しかし、いまだに、世界から戦火が消えたことはない。
『ヒロシマを考える事は、戦争を拒否する事。平和への責任を担う事』と、子供代表が平和への祈り(決意)を宣言していた。 また、
自分達と同じ子供達が、いまだに戦火で傷つき、亡くなっている事。
暴力やいじめなどで、沢山の人たちが傷ついている事。
相手を思いやり、違いを理解する事を知り、お互いに話し合い、理解する事が必要である事。
そういうことを知っていかなければいけないと。
長い間、沈黙を守ってきた被爆者が、『私達に投下後60年はあっても、70年はない』(被爆者の平均年齢は70歳を越えている)と、痛切な思いで今日を迎えているそうだ。
このままでは悲惨な記憶は薄れ、忘れ去られてしまう事をおそれ、長い沈黙を破り、傷ついたまま癒されない心をおして、子供や平和公園を訪れる人、世界中へ出向いて、悲惨な記憶を伝え、世界平和に対して体験を伝え、世界平和への働きかけをしはじめた。
『核兵器の廃絶に全力を尽くす』…総理が述べた言葉。
真実であって欲しい。
しかし、その言葉は、小さく早口で、他の誰よりも聞き取りにくかった。
連日の国会での審議や衆議院解散への動きに疲れているのか。 そんなことで良いのか。
今日一日、ヒロシマは祈りの日である。
あちこちで平和祈念のイベントが行われる。
広島の子供達は、小さな頃からこういう問題に触れる機会が多く、大抵の人たちは、思春期の難しい年頃になっても、真摯に黙祷を捧げる。
だが、段々と意識が薄れ、広島の子供でさえ、ヒロシマの意味すら知らない子もいるそうだ。
おそらく、全国各地の子供達の多くが知らないのではないだろうか。
8月9日には、長崎がナガサキとして祈りの日を迎える。
日本中のあちこちが、それぞれの悲しみの記憶の日を次々と迎える。
また、8月15日は、日本全体が終戦記念日として、平和を考える日を。
何が正しい、という気はない。
ただ、世界から、戦争や争いの悲しみが消える事を願っています。
今日もまた、蝉がひたすらに鳴いています。