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(前回からの続き。 夏休みの宿題が山ほど出た哀しいおはなし。)


さて。 この宿題に対するアプローチである。


私の姉は、生来マメで真面目な性格で、文字通りの優等生らしく7月中にこの恐ろしい量の宿題をほぼ済ませ(しかも7月も結構遊んでいた)、8月から力いっぱい遊んでいた。
(嫌なやつだ)


当然のごとく、私は7月も8月も遊び倒し、8月の30日の夜くらいから、母の目が吊り上がるのだ。


私は半ベソをかきながら机に向かい、9月1日の夜(当日提出しなくて良いものを、始業式のあった日の夜)までにやっていた。


私の心境としては、「勉強に不向きなので、勉強しませんでした」といって、できていない宿題については素直に叱られるつもりでいたのだが、母は絶対にそういうことは許さなかったのだ。


だけど、小学校くらいまでは私も普段はそれなりに優等生グループだったので(笑)、問題集や読書感想文(結構速読であった)、絵も好きだったので大して負担ではなかったのだ。
(面倒くさかったからやらなかっただけ、やれば、結構さっさとできた。書く時間があるかどうかの問題)

音楽も、ピアノを習っていたので練習の必要はなし。
暗譜(曲を覚える)だけだったので楽だった。


工作は、大抵親の手を借りた。


問題は、 「科学研究」


なんじゃこれは。 というくらい面倒である。


観察か実験をしたうえで、なおかつそれをレポートや標本などにまとめるのである。
ゲップが出そうになるくらい、嫌であった。


何より嫌なのが、この宿題のテーマ『日ごろ疑問に思っている事を調べたり観察・実験しましょう』というやつ。


普段、科学(理科)的なことなど、露ほども疑問になぞ思っちゃいないんである。


つまり、テーマに沿って素直に書けば、「ありません」 以上終わり、なんである。


…なのに母はそれを許さなかった。


ウチの姉のように、本当に普段から昆虫や天体に興味のある人は、春先からすでにこの「研究」は始まっているんである。

地道に観察し、毎日レポートを書き、夏休み中には素晴らしい量と内容のレポートが完成するんである。(かなり立派な標本(成虫は飛んで行っちゃうので、脱皮した皮や蛹の殻など)も、つく)


実際姉は、計画的にアゲハチョウを卵から地道に育て、2年間に渡って観察した研究が、市長賞をとったりして市役所ロビーで大々的に展示され、写真入で新聞に載り、近隣の親戚や親の知り合いにまで知れ渡り、感心されて褒められたものだ。

(つくづく嫌な奴だ)


そんな前例を作ってくれちゃった迷惑が、私に回ってくるんである。
そんな立派な姉を持つ私が、「ありません」じゃダメだったらしい。


…というわけで、何かレポートを書かねばならない。


私と母は、毎年頭をひねって悪知恵…もとい、工夫をこらした『1日でできる実験レポート』を作ったのだ。


・シャボン玉の研究…シャボン玉をいかに大きく作るか、液に入れるものや、ストローの太さなどを変えて実験。 使ったストローを標本?につけた。


・洗濯物の乾き方…同じ大きさにきった色んな布を、日なたと日陰・家の中などで比較。布を標本につけた。


・氷のできかた…色々な液体を凍らせ、様子を時間とともにレポートする実験。 冷たいし、好きなジュースが買えて一石二鳥である。 標本はなし。 ただし凍った具合を絵に描いた。(当時写真は気軽に撮るものではなかったので)


・家の庭に生えている植物…適当に引っこ抜いてきて、家にある図鑑で調べ、名前や特徴、生えていた様子を絵や文章で書く。 分からないものは、「分からなかったので、名前をつけました」とか言って、でっち上げの名前を書く。 青々とした標本がつく(笑)


・卵の腐り方…1週間くらい日数があるときにやった。勿体無かったので、母に不評。 卵を2ケースを買って来て、冷蔵庫の中と外で、1日ごとに1個割り、黄身などの様子を書いていく。 最終日が辛いのが難。 標本はなし。 絵に工夫が必要。


…弟のを合わせて他にもあったはずなんだけど、流石に忘れてますね(更に弟は、私の古い研究を丸写しという卑怯技まで繰り出した)。

まあそんな風に工夫して(?)1~2日平均で実験した結果を、「私がこの研究を始めたわけ」という書き出しで、それらしく最低10枚くらいのレポートに何とか仕立て上げるのである。


この「始めたわけ」も「おかあさんがやれと言ったから」という訳には当然いかず、母が口述する「大人ウケする」感動的な理由を、そのまま引用させていただいた。


そんなこんなで夏休みラストは小学1年から、親子共々、大抵夜中まで作業…というのがお決まりであった。


そんなに努力(?)しても、やっぱり他の宿題も逼迫(ひっぱく)している事には変わりないので、当然間に合わないものも出てくる。


それでも母は、未提出を許さなかったので。

どうにもならなくなった時、ついには最終手段の「奥の手」が出るのである。


…すなわち、


「もう自分のはちゃんと済んでるのに、何で2年前の宿題を私がやらなきゃいけんのよ~!!」


…と、ぼやきつつも、白地図を塗ってくれたり、計算ドリルをやってくれた(数字はバレにくいので)お姉ちゃん、どうもありがとう(笑)m(_ _)m