皆さまこんにちは。
ご機嫌いかがですか?
さて、連休が終わり、6月は祝日がありませんので、暫くは規則正しい暮らしが続きます。
6月は水無月。所説あるようですが、「無」は助詞「の」になると考えると、
「水の月」
雨が多く、田んぼに水が注がれ、青々と育つ季節です。
私は、特急電車に乗るのが好きなので、時々季節の景色を楽しむために電車に乗ります。
これからの季節は、車窓から眺める田んぼの景色が美しくなります。
農家の皆さまのご苦労は大変ですが、美味しいお米が今年も食べることができますように。
穏やかに稔りの季節を迎えられますように。
豊かな水の恵みを生かした先人たちにも思いを馳せます。
代々農家の家系ですので、今は農家ではなくても、DNAがこの景色を覚えているのかも知れませんね。
車窓からの緑を眺めるだけで、どこか懐かしいような、ホッとするような気持ちになります。
先日、都会をドライブしながら、大きく育った街路樹を眺めて、
この木々たちは、言葉はなく、動くこともできないけれど、
そこに立ち続けて、私たちよりも長く生きて、世の中の移り変わりをずっと眺めているのだということを思うと、
人間とはなんて儚いものだと思ったのです。
でも、人間がDNAの運び屋だと思うと、数万年前、もっと昔から、世代をつないで運び続けたDNAには、
無数の記憶が刻まれているのだと思います。個体としては大木よりも短いけれど、DNAにはとてつもなく長い記憶があるのです。
動植物の外来種が古来日本に生息する生き物たちよりも強く、日本の生態系が崩れてしまうことが時々報道されます。
池の水を抜いてみると、いないはずの生物が沢山生息しているなんてことは、今では当たり前のことになりました。
緑の日本の風景を絶やさないために、昔の生き物たちがこれからも生きられるように、関係者の皆さまには考えていただけると良いと思います。
私たち日本人の多くが、農業によって生きてきた民族で、豊かではあるけれど、ある時は過酷ともなる自然と共生して来たことを思うと、ご先祖様や八百万の神に祈らざるを得ないような時代を数えきれないほど繰り返し、潜り抜けて繋いできたDNAを、この土地に生きて繋いでくることができたのです。
都会はコンクリートで固められていて、生活はしやすいです。
でも、おそらくは、人間の進化はそれほど進んではいないので、DNAの過去の記憶が緑を見ると安らぎを呼び起こすのではないかと思ってみたりもします。
ポンコツな古いスマホにアプリを入れてしまうとすぐに容量オーバーになってしまいます。
ポンコツな私は、時々、緑を求めて電車に乗ります。
もし、生まれ変わりがあるのなら、次は田植えをしてみたいです。