聲の形 | Kico's Reading Room

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先日1人で観てきました。

横の女子高生が序盤から泣いていました。


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ある日、耳の聴こえない少女が転校してくる事からストーリーは始まります。

イジメの加害者と被害者、そして傍観者。

どの立場で観ても、責められている様な気分になるのではないかな…。

私は学生時代が遠い昔なので距離を置いて観る事が出来ましたが、現役の学生さん達には辛い映画ではないでしょうか。



障がいのあるなしにかかわらず、子どもにとっては今ある環境が人生の全てだと言う事を大人は理解していなければならないと私は思います。何故なら、子どもは自分の意思で居場所を選べないからです。

合わない人から離れる事は逃げとは違います。子どもにそれをしてあげられるのは大人だけです。
その場所にこだわる理由は、案外大人の都合だけだったりしますよね。

イジメを我慢した先に何があるのでしょう。

私は、人間関係においては「逃げるが勝ち」の時もあると思うのです…。

この場合の「逃げる」は、死ぬことではありません。居場所を変える事です。


実は、この映画を観ていて一番頭にきたのは先生の態度でした。
こんなにも事態を悪化させてしまった原因の一つは、大人(先生)が見本になっていない事だと思いました。
この先生には、障がいを理解しサポートする姿勢が全く見られなかった…。

接し方が分からない子ども達が混乱するのは当然の事で、その点では、正しく指導される機会を得られなかった子ども達全員が不憫でした。


それから…
主人公の石田君にとっては、心を許せない周りの人の顔に✖️が付いているという表現がされていましたが、これ、凄く理解できました(^_^;)
傷つかない為に自分から先にシャットアウトしていますね。
自意識過剰は、思春期の辛い症状の一つだと思います。
私も辛かった〜。

自意識過剰は自分の性格だから治らないと思っていましたが、おばさんになってみて、「あれ?あれはやはり若い頃独特の柔らかくて繊細な心を持つが故だった?」と、振り返る余裕が出来ました(笑)


生きる為に不便な状態をひっそりと抱えている人は大勢いる様な気がします。(この映画ではユヅルもひっそりと抱えている1人だと思います。)
それが外から見えるか見えないか、周りに理解され必要なサポートを受けられるか受けられないか…そういった点で生きやすさに差が出てくるのではないかな。

自分の「生きにくさ」を「駄目なもの」として認識するのではなく、元々命は色々な形で生まれてくるものだからこの世に一つしかないこの形は尊いのだ、と思えると良いなと思いました。

最後に、植野直花…。彼女も生きにくい1人だな…と思います。
一所懸命に自分の価値観を伝えようとしているのに、伝え方が不器用過ぎて嫌なヤツとしか他人の目には映らないのは、きっとストレスだろうなと思います。


伝える手段(聲の形)は人それぞれだけれど、相手が何を伝えたいのかを理解しようと真摯に努力することが大切ですね。


そして、
「理解できずとも受け入れる」
以前何かのテレビ番組で、多くの留学生を受け入れている女性が言っていたこの一言。
これを忘れてはいけないと思うのです。