いつだったか、死刑囚、永山則夫(あえて敬称略)のドキュメンタリーを観た。
1949年、北海道の網走生まれ。
貧困・虐待の中で育ち、教育も満足に受けられなかった。
19歳のとき(当時は少年)、4件の連続射殺事件を起こして、翌年、逮捕。
それから獄中で本を貪り読み、創作活動を開始。
1983年には、『木橋』で新日本文学賞受賞。
その14年後の1997年、死刑執行。
現在でも死刑の適用基準となる「永山基準」。
詳しくなくても、彼の名前を聞いたことがある方は多いと思う。
私が読んだ『無知の涙』は、1969年から獄中で書かれた手記。
永山は、自分が書いた本の印税を、被害者家族に送っている。
それを拒否している被害者家族もいるけど。(←これ、かなり重要ポイント)
さてさて、説明はここまで。
ドキュメンタリー番組を観てから、私は永山とはどんな人物だったのか、知りたかった。
永山に関する資料を読み、永山の考え方に近づける確率の高い手記、『無知の涙』を選んだわけだけど。
読み進めるうち、気持ちが悪くなって、吐き気をもよおすようになった。
本文は527ページ。
私は267ページでギブアップ。
これ以上、メンタルをやられてまで読む価値は無い、と判断した。
永山に好意的な人もいるけど(実際、支援団体があったようだし、獄中結婚もしている)、私はだめだった。
確かに、不幸な生い立ちだったと思う。
辛かった、なんて言葉では片付けられないほどの苦難の連続だった。
同情する人たちが多いことも、理解できる。
彼には文才があるのだから、その才能を認めよう、という動きもあったけど。(これに関しての私の意見は「よく分からない」……)
でも、それと、罪のない4人を殺すことは、別問題。
永山以外にも不幸な過去を持つ人はいて、でも、その人たちは皆、犯罪に走ってないじゃん、という意見に同調するつもりは全くないけどさ。
私が一番吐き気がしたのは、自分の犯行は、貧困と虐待にまみれた過去や社会のせいなのだ、と永山が開き直っているようにしか感じられなかった点。
罪を犯して死刑になる、という自分自身を憐れんでいるんじゃないか、と感じたから。
獄中で沢山の本を読破したらしいけど、それは何のため?
本を読んで、攻撃性だけが高まってしまったの?
本を読んで、人に対する思いやりは生まれなかったの?
被害者の中には、奥さんが妊娠中だった人もいたと聞いた。
家族を殺された人は、ずっと痛みを抱えていきていくのに。
遺族に対しては、自分に入る印税を渡すから罪は償ってる、と思ってたのかなあ。
そんな人のお金なんて受け取りたくない、と思う遺族がいるのは、当然だよね。
私は、死刑について賛成か反対か、と訊かれても、正直、分からないとしか言えない。
永山の刑執行には、良からぬ力が働いていた、と主張する知識人もいる。
でも、ちょっと待って。
何故、この手記の中で、被害者と被害者家族への謝罪を綴らず、社会に対しての怒りを爆発させてるの?
永山は、射殺事件を犯す前に、在日アメリカ海軍の横須賀基地内の住宅に忍び込んで、小型拳銃と銃弾を盗んでいる。
この事実から、発作的に事件を起こしたわけではなく、「誰か(誰でもいい)を殺す」つもりで凶器を盗んで犯行に及んだとしか思えない。
4人の命を奪った罪は、永山が背負わなければならないし、それについて真摯に反省し、自分の愚かさを全面的に認めるべきだ、と私は思う。
自分の不幸に酔ってる永山に、救いなんかあるのかなぁ……。
『無知の涙』の後半に、もしかしたら、謝罪の言葉が沢山出てくるかもしれないけど、最後まで読んだら私の感想も違ってくるかもしれないけど、現時点で最後まで読むのは精神的に耐えられないと判断し、ここで読むのを止めることにした。
永山擁護派の方、私のこの意見・感想に納得いかなかったら、どうぞコメント欄かメッセージで反論してください。
お待ちしています。