インナーヒーリング、内観をしていて

大体誰しもがもぶち当たるのは自分の幼少期の親との関係の在り方。



めちゃくちゃ、本当にすっっっごく簡単に言うと


子どもの頃に親子間で大なり小なり傷ついて出来た小さな歪みが大人になってからあらゆる人間関係において

ひいては自身が親になった時に子どもとの関係性において問題行動が発生する


って言うのがパターンなんですけど。



私も勿論内観していく中で数多くの心の傷を掘り起こしました。


ただ、今も昔も両親の事は嫌いじゃないし

いなきゃよかったとか

うまれてこなきゃよかったとか

そう言う気持ちになった事…は正直ゼロじゃないとは思うけど

あっても忘我の一時的なもので

自分に合ったプロセスを踏んで癒せてきているので

上にも下にも激しい感情はありません。


でも私の母は

たとえ自分に生を与えた人だとしたって、いなきゃいいのにって心から思う親だっているんだよ

と話してくれた事があります。


父親(私の祖父)が酷い人だったんですけど。


なんかこう

なんでこの話をしたかっていうと

Twitterでこれをみたからなんですけどね



言ってる事は確かにいいことだと思う。

善と悪で分けたら善。善いこと。


結局子どもは親が好きで

親は子どもを愛してて


って言いますし

そういう形もたくさんあると思うんだけど

そうじゃないお家も多分いっぱいあると思うんですよね。

私は体験した事がないからわからないけど

話を聞く機会はたくさんあります。


そんな事ないよ!

愛されてるよ!


とか言いたくもないし

多分何も知らない奴から何か一言でも言われたくもないだろうし(ただ吐露したいだけというか)

でも、ただ、癒されたい傷はハッキリあると思うんですよ。


問題行動を起こす人は本能的に

傷つけた本人から癒してほしいと思うそうで

でも本人から癒してもらえる事って悲しいかな、無いんですよ。


だから友人、パートナー、職場、子どもなど

あらゆる外の世界から

追体験を通して回収しようとして

結果同じことを繰り返したり

誤魔化し続けて自分がコントロールできなくなったり

っていう問題行動になるんですよね。



じゃあ一体誰に癒して貰えばいいのか。


自分自身なんですよ。


目を閉じて、あの日の自分を見つけ出して

背中を丸めてうずくまって声を殺して泣いている自分の隣にそっと腰を下ろす


ただ、そばにいるだけ

こんなに悲しかったんだ、辛かったんだって

泣き声や金切り声叫び声、声なき声に寄り添うだけ。





…っていうのをね色んな勉強と絡めながらやってきたんですけど。



そういうなかで 察する という力が身についたと思うんです。



そういうこともある

その人だけの気持ちがある

私には何もできない領域がある



消えてなくなれと思う人もいる



でも別にそれでいいんです。

物理的に消しにかかったらそれは法的にNOなんですけど

気持ちをまず認めるのっていいんじゃ無いかなと思う。

その下にまだなにかあって掘りたいなら掘ればいいし

そうじゃないならそうすればいいし


話とっ散らかったけど

別にネガティブな感情は抱いていいと思います。

腐るとこまで腐ればいいと思う。


ずっとキラキラしてなくちゃとか

反動でバッド入るし。


真ん中目指していきたいなと私は思うのです。



これぞ徒然日記。