多分、自分というものがめちゃくちゃハッキリして初めて体感できるものなのかなと感じます。


私が内観を始めるにあたり掲げた目標は2つあって


1.自由になりたい

2.強くなりたい

(1冊目のノートにかいてあるまま抜粋)


こちらになります。


当時の私と今現在の私では

自由の定義も強いの定義も全然変わっていて

頭の自分が求めていた自由と強さの正体をきちんと理解して、魂が求める自由と強さは

今の私が自分と向き合い続ける中で

求めずとも既に手に入っていたんだなーってなるものなんだろうなーって。


だから今はまだ自由だと思ったり不自由だと思ったり

強くなったなと思えばまだまだだなって思ったり。


全然道半ばです。




〜したい!と、wantがある事は、自分の向上、ひいては社会の発展に欠かせないとても重要な現象ですが

チャクラを使ったインナーチャイルドヒーリングにおいては

欲してる=不足している(と思っている)ということになるので

満たす=癒す必要が出てきます。


故に、師曰く

インナーチャイルドが癒えると欲求が自然と無くなるから人間の社会活動には参加出来なくなるよ〜ん

とのことで。


それがいいとか悪いとか上とか下っていうのではなく

別に自分が心地よければどっちでも良くて

好きな方を自分で選べよってことなんですね。

あんまりお勧めしないよって言われています。

友達いなくなるし変人扱いされるし。


魂的には答えはひとつなんですけど

そんな野暮な事を言わずに、それでいいよありのままでいいよってしてくれるのが宇宙なわけで。

時間はめちゃくちゃあるし。ていうか時間なんてそもそもないし。


ちょっと、いや、だいぶ話ズレましたけど

本当の自由を手に入れるには

癒しのパートが最重要。



どんなに自由に飛び回ってても、それが偽りの翼ならいつか疲れて地に落ちてしまう。

それすら学びだからいいんですけど、同じ事を死ぬまで繰り返すのはちょっと…って人は

深い癒しを探求することをお勧めします。



最初は思いっきり甘やかす。自分をとにかく安心させる。

心も身体も緩めることに終始する。

拗ねて引っ込んでたインナーチャイルドを表に出てきやすくしてあげる事が大切(=感情解放)


このパートは本当に楽しい!

やりたい事できる!言いたいこと言える!我慢なんてしなくていいんだ!って

インナーチャイルドの叫びに気づくパート。

抑圧されてきた自分をよーしよしよしよしよし!ってたくさんたくさん癒す。

何が欲しい?どうして欲しい?って。

それだけで満足して光に帰ってくれる子ばかりならいいんですけどね。


大半はあらゆる問題と複雑に絡み合って

そこを具体的に理解し、解いてくれるのを待っている。


インナーチャイルドを出すだけ出して片付けの方法を知らないと

インナーチャイルドに自分を乗っ取られてしまいます。




私自身も経験があるのですが

この時は本当にしんどい。


世の中全員敵だらけ(被害妄想)

全てが人のせい(転嫁)

私は銀河一可哀想で(被害者意識)

こんなに知恵に溢れているのに(高慢)

従わない奴らは(傲慢)

バカだ(こきおろし)


みたいな。

認め難いが客観的に現状と事実を認め受け入れること(=グラウンディング)が出来ていない

=インナーチャイルドと向き合えていない(乗っ取り状態)

=癒し役をする自分が不在

→故に再び外界からエネルギーを貰おうとする


フルコンボだドン!て感じですね。


あと勝手に相手を神格化して期待を裏切られた時に猛烈に攻撃したり切ったり。

こっちから捨ててやったぜ!的な。

切るって言い方良くないですね〜

私は一体何様だったんでしょうね。恥ずかしい限りです。


例を挙げればきりがないですが

このくらい私の中には不平不満愚痴や怒りがあり、そのさらに奥には無力感や恐怖や深い悲しみがたくさんありました。(今でもあります)


そんな感じで怒り狂い、被害者を気取って泣いて、ってやると溢れたガスの発散にはなるからほっとけば勝手に冷静さを取り戻すんですけど、その時に感じたのは



スッキリはしたけど何も変わってねえな…🤔



って事でした。

今までそれで来てて、それが嫌で内観始めたのにな。

でも内観を学んだからこそ、ここでようやく本来の目的に気づく事ができたんですね。

そしたらあとはやるだけですね、やってこなかったことを。


我を失う=インナーチャイルドに自分という乗り物のハンドルを奪われている状態


=インナーチャイルドのキズと向き合うチャンス


と捉えられたらこっちのもん。

これまでは楽しい事や心地いい事、周りを味方で固めた心地いい賞賛で埋め尽くして誤魔化してたことにも気づけました。


まずはとにかく自覚して受け入れていく事。

それしかない。初歩の初歩です。誰でもやろうという意思があればできる。





でもマジ本気マジガチリアルで絶対やれとは思わない。


いや、それでもやってみたいわ、って思った方向けになりますが

最終的により深い癒しを行う場合は

自分にとって一番心地いいもの、よりも若干キツくてムカつくくらいが丁度いい負荷かなと思いますし

ガイドしてくれる先生も現状に満足せず向上心と好奇心があり、愛情を持って突き放す事、信じて待つ事ができる人だといいと思います。


でもあくまでやるのは自分なので、依存させないっていうところが大きいかなぁ。



優しく癒してくれる人は今かなり増えてきたんだろうなと思います。

みんな凄くキズだらけだから、一緒に手当てして寄り添ってくれる人の存在って凄く嬉しいし心強いですよね。


でもその人にはその人の人生が、自分には自分の人生があって

たとえ夫婦であっても親子であっても

べったり重なってることはないと思うし

それが他人なら尚更。


自由も不自由も

ヒントはそこらかしこに転がっています。



まぁなんだ

自立って凄く痛いし怖いし悲しいし恥ずかしいししんどいし辛い想いをたくさん経るけど

そういうもんだなって思いました。