桜は、今年も見事に咲いて楽しませてくれました。

発覚後の最初の桜は、ちょうど慰謝料問題が終盤で、慰謝料減額のために薄っぺらい反省の言葉を弁護士に言った婆さん。その婆さんの誕生日が近いのもあって複雑だった。

これから毎年どんな気持ちで桜を見るのだろうか。と考えたことだけ覚えている。

2回目の桜は、このまま夫婦の形を取るのが良いのか・・・など、様々な心が混線していた。

そして、3回目の今年の桜は穏やかに楽しむことができたと思う。

婆さんの誕生日も今ブログで思い出したくらい。昭和36年4月◯日生まれ、過ぎちゃっる・・・と。

あれだけ一生忘れることは無いだろうと思っていたのにビックリです。


さて、今回はサレ側の私が手放せなかったものです。

それは、私達夫婦が知り合ってからの『あゆみ』です。

軌跡とも言えると思いますが、その関係を積み重ねた時間でした。

結婚してから色々思うことがあっても私が手放せなかったあゆみ。

形を変えながらも共に過ごした時間の記憶。

それを夫は簡単に手放したと感じて悲しく惨めになり深く深く傷ついた。

それでも私は簡単に手放すことが出来なかった。


しかし、再構築する中で薄っぺらい中身の無い反省を繰り返す夫に、手放せなかったあゆみをもう手放して良いのでは・・・。と考えるようになった。

それが、発覚後2回目の桜を見ながら感じたこと。

いきなり心で大きく膨らむのではなく、じわじわと風船に休み休みゆっくり息を吹き込んでいくように膨らんでいった感情でした。

でも、たまに電動ポンプでシューっと一気に勢いよく膨らむ瞬間もあり不安定な風船をいつも心に持ち歩いている感じだった。


夫が、『離婚したくないから必死だった。』と言ったことがあった。

あゆみを簡単に手放したのによく言うな~と思ったけれど、シタ側の人間はそんなに深く考えていない。(きっとコレを読むだろう夫には申し訳ないけど、書く。)

全てをしっかり掴んでいるつもりだから不倫ができる。


不倫は、全てマイナスが成立すると感じる。不倫する心が芽生えた瞬間からマイナスに向かっていると思う。

信頼、人生、家族、人格、社会、お金、時間、全て引き算のマイナス。(バレなくてもマイナス。)

しかし、新しいパートナーを手に入れた。好意&行為が嬉しい楽しい。

プラスで足し算してしまうのが不倫脳。


夫と話していく中で、今はこのように感じています。

だから、私が手放せなかったあゆみを夫が簡単に手放したと思って傷ついた感情はかなり薄くなりました。


でも、深く傷ついたことがあったのは事実。

ただ、今までより深く考えることや感情を大切にできたようにも思う。


私が手放せなかった夫とのあゆみ。

手放さなかった選択が良かったと思える毎日を積み重ねることが再構築なのかもしれない。



お読みいただきありがとうございます。