春ですね。

桜の季節となりました。

毎年咲く桜、私も多くの方達のように前年の桜を見た時よりも少しで良いから人として成長したい、前に進みたい、そう思ってつけたsakura−saita。

今年は、皆さんのおかげで少しは前進できたように感じています。

あんなに停滞して、世の中から取り残された気持ちだったのに不思議です。


では、本題。


皆さんは、不倫をしている人達は輝いて見えますか?


シタ夫と話すことで沢山考えさせられ、色々な気付きがありました。


不倫していた時は、輝いていると自ら思っていたであろうシタ側の2人。

でも、全く逆。

思われているという変な自信が人としての思考をダメにしてクズ化していく。

良い人、良い夫をしていても取り繕っているだけで中身が伴わない。

今、振り返るとそんな夫のことを私は嫌だなぁ~と頻繁に思っていました。


夫は、出会い系という場で婆さんと出会いました。

まず、出会い系で出会いを求めていることが既にダメですが、出会い系だから超簡単に相手は見つかる。

即席相手。通販並みのお手軽さ。

婆さんは、自分よりはるかに年下の夫にロックオン。同年代と語る詐欺行為も平気。

そして、好みとは違っても婆さんから薄っぺらい好意を向けられて喜ぶ夫。


人から向けられる好意は、色々な形がありますが、まず好意を向けられて嫌な気持ちなる人はなかなかいないだろう。

でも、その好意に応じることができなければ、どうする?

ましてや、それが人の道に反れるものならば、どうする?

本来は、手放す。

でも、もともと出会い系なのだから手放すことなど頭にない。

夫はハマったというより、手放せなかったという方が近いと感じています。


もし仮に職場で仕事がデキて、そこそこイケメンで女性社員から人気のある妻子持ちの男性がいたする。

でも不倫をしている。

『まぁ、あの人なら仕方ないよね~』

『あれはモテるよねぇ~。』

と、まわりは認めたり納得するかもしれない。


でも今の私は

モテるかもしれないけれど、人の好意を手放せないだけの人。

カッコよくても心に闇を持っている人。

卑怯でズルいだけ。

そう思う。


向けられた好意が、男女としての関係を求めるものならば、好意は嬉しいが応えることができないと伝えて手放すことができたなら素敵な人だと思う。

それが、本当に相手を大切にした思いやりのある行動だと思うから。


夫も今なら分かると言っていますが・・・。



好意を向けられて一緒になると家を出たお義父さん。

その後、借金を作ってお義母さんのところにローン先から所在確認の電話が入ったりと自分の始末も出来ない人。

そんな人でも、今はそれなりに幸せなのかもしれない。

でも、人生で大事なものを手放したように感じる。

本当なら、夫や義妹さん、孫達と食卓を囲んだり旅行をする機会もあっただろう。

でも、今は孫達とスレ違っても気づくことはない。

それどころか、夫は『今、オヤジと会っても分かるかどうか・・・』と言っている。


お義父さんの求めた幸せは、そこに無かったのだから何も感じていないかもしれない。だけど、考えさせられる。


シタ側は、薄っぺらい好意を手放せなかった瞬間から大事なものを手放している。


そう思う。


お読みいただきありがとうございます。