こんにちは。カンです。

先日、I先生のカウンセリングを卒業しました。「もう大丈夫」と太鼓判を頂きました。
「あと一回」のところで数回足踏みしていました。なかなかハードルの高い課題でした。
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前回の記述で
「共感する」「寄り添う」「向き合う」事について述べました。
相手の立場に立って感じる事ができたら
いくらでも反省する事が出てきます。

幸い、妻は過去の辛かった事を話してくれるようになりました。またブログに書くことで、私に伝えようともしてくれました。反省の題材を与えてくれたわけです。

 家族で海に遊びに出かけた思い出があったときに(例え話です)

私は
「楽しかった。帰りには温泉にも連れて行って、ご飯も食べて帰った。妻は家事も子守も省けたから喜んでいるだろう」

こう思っていても妻は

「百貨店に買い物に行こうと思っていたのに行けなかった。日焼けもしたくなかった。夫が楽しんでるから、気分を損ねないように過ごすしかなかった。楽しくなかった」
と思っているかもしれません。

こういう過去の想いの食い違いについて
ひとつひとつ話してもらいました。

 毎回相談しながら過ごせばよかったのに、独り善がりや偽善ので、知らず知らず妻に不満を与えていた。
その事ひとつひとつ謝らなければなりません。
「不倫相手とのラインの数だけ」謝ったかはわかりませんが、その意味はよくわかりました。

難しいのはその後です。

夫回③のあたりがその時期にあたるのですが、自分の中でそういう変容が起こったことがとても気分よくて、
「反省するオレ」
に酔うようになるのです。
 物事の本質が分かったような気になってしまうので、「批判ウェルカム」な、ナチュラルハイ状態になるのです。

あの頃、色んな方からブログへのコメント頂きましたが、それのひとつひとつを受け入れて反省する事が趣味みたいになっていました。

でもこれが進みすぎると
「はい、私は反省していますよ。反省できていますよね?」
「昔〇〇があった?あ〜そうだよね〜悪かったよね〜」
「不倫してたあなたがありえない?そうですよね〜。私もいまならよ~くわかるんです。ありえないですよね〜」
「反省してますよ〜。私ってよくわかってるでしょ?」
みたいな、
反省を武器にしたような態度になってしまうのです。

 I先生は「反省に逃げ込む」という表現を使っておられました。
実際に振り返って、向き合って、反省をしている。決して反省してるふりではなく、真剣に反省はしてるのですが、ここが難しい。

反省して自分だけ分かったような気分になって、どんどん先に進んでしまう。
そんな感覚だと思います。

先生からは「心の中が反省モードオンリーになっている。そうじゃないモードのときの気持ちを感じてほしい」
「バランスが悪い。反省に振り切ってしまっている」という趣旨のことを指摘されました。
ここで私は躓きました。「バランス」というのがなかなか理解できませんでした。
反省するな、というわけではない。でも反省にに逃げない。ここが難しくて、カウンセリングに行くたびに
「カンさん、もうちょっとです。もう一回だけ来てもらえませんか?」
となり、卒業まで時間がかかったのがこの部分です。

先に進みすぎた自分を呼び戻し、じっくり妻の話を聞きつつも、何でもかんでも「自分が悪うございました」で片付けないで、ニュートラルに過ごす。会話する。
当然「ここは反省しないと」という文脈が現れたら謝ります。

最近、妻や子供が
「パパ、ここがダメだよ」
と指摘をしてくれるようになってきました。今まではそういうことを言われたことがありません。言わせなかった、という方が正確でしょう。

今は、直してほしいことやキズついた事があったときに、それをぶつける価値があると思ってもらえているのだと思います。
私も妻や子供を「妻」「子供」ではなく、ひとりの「人間」として見ることができるようになってきました。
 卒業できたのはこのあたりまで進めることができてきたからではないかと思います。

これまで伴走してくれた先生がいなくなってしまいます。ひとりで歩んていかないといけません。
「また道に迷ったら先生のところに遊びに行っていいですか?」
と聞いたら
「お互い太りましたなぁとか、そんな会話ができる頃に来てくださいよ。いつでも歓迎ですよ!」
と快諾頂きました。
本当に尊敬すべき、素敵な先生です。

長くなりましたね。
今回はここまでにします。
ご拝読、ありがとうございます。