仕事をするときに何を目的にするのかを考えた時に、その仕事がもたらす「成果」を目的にするひとと、その仕事で自分が得られる体験を目的にする人、その仕事をしているという自分が目的の人がいるのではないかと考えた。

仕事を複数の人と行う時には、その3つの目的を持つ人(成果、体験、立場)を上手く組み合わせてチームにする必要があると思う。そして、チームの人が「成果」についてこだわって、成果を得ることを目指さないと成果は得られない。

体験と立場だけが目的でプロジェクトや取り組み、「場」に参加する人が多いと本当に上手くいかない。結局「成果」にこだわり活動をしない人はフリーライダーになってしまう。その意味で、チームメンバー全員が成果について共有し、それぞれに自分の役割を認識することは大切。

その中でプロセス評価は何を意味するのか。チーム内で成果について、その貢献に関する自分の役割が共有できていることが大切で、その「役割」を果たす事がプロセス評価というのであれば、それは意味がある。

しかし、そのような共有ができておらず、個々の活動のプロセスを評価して欲しいというのをプロセス評価というのであれば、それは害になる。その意味では、チーム全体のプロセスへの貢献を評価するのは意味があり、個人のプロセスを評価するのは害になる。

肩書きも同じ。肩書きは、成果達成のための役割を果たすことが肩書きの本来の意味で、成果への貢献に紐づかない肩書きは意味がない。

自分の勝手な「活動」を認めてもらうために肩書きとプロセス評価を必要としている人はフリーライダーになってしまう。何かに参加する時は、自分に課せられた役割を粛々と実行する必要がある。そのことで貴重な体験ができ、立場ができる。そして成果を得ることになる。

プロセス評価と肩書きを求めている人は自分で動かない人が多いと感じていた。それは自分をそのまま受け入れてほしいという事だったんだなと。枯れ木も山の~ともいうけど、真面目に真摯に活動している人がいる中ではやはり失礼ではないかと思う。

自分の勝手な行動をプロセス評価と肩書きとして認めてほしいと思うフリーライダーが増えるのは、やっぱり目的やビジョンが共有できいないからだと思う。その意味では、ビジョンを出せないリーダーが行う活動や組織にはフリーライダーが増えるということのなのかも。

twitter 2012/12/08