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シェアハウスと高齢者問題の接点が「責任と役割」の話ではないかと思う。責任を引き受けたくないけど、やりがいのある役割は与えて欲しい。それは難しいのではないかと思う。日本はずっと前に近代化が終わったので、国は個人に役割は課さない。でも、感覚としては近代化前の人が多いのかも。

高齢者問題を考える時に"高齢者にいきがいを"というケースがある。そして、それを言っているのは企業で働いている中高年方々。違和感を感じると共に、これは何を意味するのかと考えていた。これはある一定の年代は誰かに指示されないと心配な人が一定数いるのではないかと。

この世代は、今まで社会的責任から逃れていて"会社"から離れたら何も役割が与えられないと直感的に感じているのかもしれない。そのため、その"既得権益"を守るために役割を与えくれる社会的な仕組みを作ろうとしている。この不幸な人達が高齢者問題をわかりにくくしている。

家族や社会にきちんと貢献していれば、自ずとその中に役割が生まれる。そしてその役割はやりがいのあるものになる。そういう役割が高齢者になって自分にあるというのはいい人生に思える。若い世代はそんな人生に向けて今、進んでいるようにみえる。

そう考えると昔、大前研一氏がサラリーマンリカバリーという本で50代は会社を辞める準備をするべきだ、その準備として家族、社会との結び付きを見直すべきと書いてあったのは今更ながらすごいと思う。

高齢者に対しての社会的なサポートを進めることと、やりがいを作ることは別に考える必要があると思う。前者は社会の問題で、後者は個人の問題だと思う。やりがいは個人によって違う。だから誰かが与える話ではない。まして、国から与えられるのはどうかと思う。

twitter 2012/4/30