長いです
それに、タイトルから想像できる内容ですし、不快な思いを与えるかもしれません
ダメな人はスルーしてください

容態が変ったのは私ではありません


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

前回の入院中でのことです

病棟医が

「Tちゃん入院してきてね、まりんさんも入院してるよ、って言ったら
ほんとー」って。

個室やから、退屈やし、また覗いてあげてー」ということ

その後、腸閉塞になってしばらく行けなかった


Tちゃんは、娘より若い
ガン闘病で、時々一緒の病室になってました

泣き言を一切言わない彼女にエールを送りたくて
彼女に、と言うのではなく
いつも面白おかしく、旅行の話やハンドメイド、看護師さんらとのやり取り
それを耳にして
一緒の病室だと楽しそうでした

前々回の入院の時
何か、手術を受けたみたいで

「こんな機械が体に付いてー」
とずっと泣いてました


しばらくして、元気を取り戻したようでトイレにいく彼女に

「Tちゃん、よく頑張ったねー歩けるようになってよかったね」
と声をかけました

「うん、やっとマシになりました。でも腹水も溜まってきててー」
と、お腹が少しぽっこりしてた




腸閉塞が回復して退院間近、部屋を訪ねました

ドアを開けて、カーテンの向こうに見えたのは
お母さんとおばあちゃん?

・・・!

おばあちゃんではなく、痩せて顔が半分になったTちゃんでした


ベッドの上に、掛け布団を折りたたんでそれにもたれかかるように
座ってました

足は、浮腫んで
お腹も、膨れ上がって
様々な機械から管が彼女と繋がってる

絶句しそうになりながらー

それを悟られないように、平生を装って

「足、浮腫んできたね・・苦しいやろ・・
私も腸閉塞がやっと治って、でも浮腫はひどくなって今日はやっと歩けるようになって」

と持ってる杖を見せた


「Tちゃーん まりんでーす」

と、にこやかにカーテンを開けたことを後ろめたく
元気であることが申し訳ない思いでした



腹水などーが圧迫して胸が苦しくずっと酸素をしてる

寝てると呼吸が苦しく
起きると、膨れ上がった自分の体の重さで臀部が圧迫される
話していて、息をするのも絶え絶えー

食事を取ることも出来ず、車いすに座ることも叶わず
寝返りも、体位を変えるのも一人では出来ず・・
個室に入院してから、
もう1ケ月近く外の空気に触れてない、とのこと

でも、痛いとか、しんどいとかー以前からもだけど
泣き言は全くなかったです

母親は泊りこみで、寝ずの看護をされてました



翌日、緩和ケアのスタッフに

Tちゃんを訪ねて、驚いたこと

あんなに具合の悪い状態になっても、病院では生きてなきゃいけないのか

ホスピスなら、もっと早くモルヒネを多量に投与してもらえるのか・・

などなど尋ねました




その夜、眠れませんでした

わずか、ひと月前、彼女は手術をしたとはいえ
その時の私と似たような元気さだった

それが、わずが1ケ月で、こんなにもひどくなってしまうなんてー

私にもそれが言える・・ってこと?





夜中、しくしく泣きながらアメリカの長女にメールしました

昼間訪ねた彼女の容態急変を書き

「あーちゃんの6月の帰国より前に、お母さん容態が悪くなるかもしれない
航空券や、仕事など、柔軟に対応できるよう心づもりをして欲しい」




退院の日
彼女の母親が病室を訪ねてくれました

「退院だと聞いてー

まりんさんが来てくれたあと

外の空気を吸いたいと言い出して、
今まで人目につくことを嫌がったのに、ベッドで中庭へ出て

まりんさんが、退院の帰り道、
大阪王将のランチを食べたい口になったと楽しく話してたのを聞いて

私も、何が食べたいかなーと言いだして

退院後の楽しみを見つけようと探し始めた・・」

など、

「娘は少し明るくなり元気をもらえた」と言ってくれました

その後、続けて

あと幾日・・と命の期限を伝えられてることを彼女は知らず

いつになったら、退院出来るのかー
治療を再開できるのかー
今より良く効く麻薬を勧められると、それは死ぬ間際の人がするもの
誰かが訪ねてくれたとき、眠っていたくないと拒否してる

と話されました


「娘はまだ、命が続くと思ってる」

「まだ死が近いことに気が付いていない」

思わず、「子供なんやね・・」と言ってしまいました

深刻な状態であることもまだわからない若すぎる彼女が
不憫でした

痛みを取るための緩和ケアを受け入れず
眠れない長い夜を耐えて、10分置きにかまってあげなくてはいけない

お母さんも長い看護で、体も心も辛くてーと泣いてました



1ケ月前とあまりに容態が違ったので驚いたと言うと

今まで聞いたことがない
ガン細胞が目に見えるほどの大きさで腹部に増殖していく
進行の早い特殊なガンだに変異したからだとと告げられた


それまで、子宮ガン・・婦人科ガンだと思っていたので

浮腫が始まり
腹水がたまり始めると、

あんなにもあっと言う間に急変するんだ、と思って
彼女の様変わりした姿を目の当たりにして、

自分と重なって、1ヶ月後を恐れてた


でも

Tちゃんが、「進行の早い特異ガン」に変異したという
お母さんの言葉を聞いて
前日までの眠れない恐怖から救われたような気分でした

不謹慎だけど、自分は違うー
同じように急変することはないと思えました



12年前、簡素なカーテンで、オープンな病室
長い闘病生活をずーっと共に過ごし

自分の最期が
なんとなく多くの仲間を見送ってきた経験から察知できるようになると

「通帳、まとめてきた」とか
「浴衣、持ってきた」とか
「黄疸出てきたわ」など

淡々と口にするようになっていく

多くの仲間が入院中
数時間の外出や外泊の際に、少しづつ覚悟とともに「準備」して
最期の病室へ戻ってきました

何度か切ない見送りを繰り返して

個室へ移ったやせ細った仲間を訪ねない、と決めて・・
長年の闘病で覚悟が出来てきたと思ってたのに

まだまだ脆いんだなぁーと改めて思い知らされました



平気を装って、明るく過ごしても、
今でも怖くて怖くて人並みに怯えてる



私の症状で、御自身と重ねて
同じように怯える思いをされる方もおられるでしょう


何といっていいか・・
あまり、精神的御負担をかけたくないとは思うけど

誇張もごまかしもしたくないけど、ユーモアを交えながら。。

最後まで読んでいただいてありがとうございましたm(_ _ )m



明日、TC2クール目、入院します
元気なので、御心配なく、です(^-^)/



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