今日は心療内科でした。
私がもやもやとしていることを言語化できたと思います。
私はノンバイナリーで、残念だけど、多数派ではない。
この国で、男と女の二つにしか分かれない社会の中で、私が好む生き方を貫くのは難しいと、やっぱり思った。
私のこだわりは、たぶん服とか髪型だと思う。
顔は変えられない。
漠然とした、「きれいになりたい」っていう思いは確かにあるけど、その「きれい」っていうのはあまりにも多くの要素を含んだ、とてもあいまいな状態を指すんだと思う。
体形、顔の形、肌の状態、云々。
私にはそのすべてに情熱を注ぐことは難しいんだと思った。
たとえば体形。
太ってるから、たしかに痩せなくちゃと思うし、適度な運動をする必要性は感じてる。
鏡を見ても、やっぱり太ったな、っておもう瞬間が多い。
でも、長く続かない。
運動は、ずっと昔、競泳選手だった頃にその情熱を燃やし尽くしたんだと思う。今は運動は本当に嫌い。
かつては一日20㎞とか泳いでたのにね。
お化粧は、前は興味はあったけど、今はほとんどない。化粧水と乳液とか、そういうのくらい。
じゃあ私は、どういうものだったらこだわるんだろう。
そう思ったときに、やっぱり私にはファッションなんだって思った。
気に入った服を着ることができてるときは、やっぱり気分がいい。鏡に映る自分がおしゃれに見えて嬉しいからだ。
でも、私の身体は男。
メンズの服も当然多いんだけど、本当はメンズのデザインは好きじゃない。
この時期、Tシャツとかを着てるんだけど、メンズは首回りがとってもきつい。詰まったデザインしかないし、それはオンラインでも、実店舗でも見て回ったから思い知った。メンズのTシャツに、首回りが緩くなってるのは、ほぼ無いと言っていい。
私はそのデザインが嫌いで、着たくない。
一方で、マルイとかしまむらで見つけた、レディースのTシャツ(プラスサイズ)だと、ちょうどいい塩梅で、メンズ要素も含んでるデザインが多い。
パッと見ただけだと、レディースだとあんまり分からない。
でもよく見ると、首回りがすっきりしてて(つまり、ほどよく首回りが開いている)、シャツの下の端がクシュ、っとなってたり、デザインに遊びがある。そういう、ワンポイントで可愛さがあるのはすごくいい。
ズボンもそうで、足首の部分がきゅっと締まってる、いわゆるバルーンパンツ、っていうんだろうか、それがお気に入り。
こういうデザインも、メンズのズボンにはあまりない気がする。
私の身体が男じゃなかったら、自分が着たい服で悩む必要なんてなかった。
でも、私には家族がいて、一緒に生活してるわけで。
だから、「このデザインなら着てても平気かな」「これならフェミニンすぎないから何とも思われないかな」と、購入のボタンを押す前に、いつもそれが大きな決断になるし、精神力を使う。
今年で43歳になったけど、私は、「一番若いこの瞬間」、つまり「今」しかできないことを重視しているんだと思う。
それがファッションだったりするんだろうね。髪だって、茶に赤を混ぜてもらって、もう2年くらい経ってる。もっと赤を強めにしてもらおうかなとも思ってるくらいだ。
本当はもう一度インナーカラーを入れたい。今度はインナーを金にしたい。
ぼぅっとしていたら、すぐに50になる。そうなるとまたその時にしたいことがあるはずだけど、「年齢」という、戻れない壁に苦しみたくない。
「もっと若かったらあんな服を着てみたかった」って思うことが凄く増えた。
鬱病になって、もう10年近い。
自分の世界に入り込んで出られなくなって、最近はようやく、その自分を客観視できるようになってきた。すこしだけだろうけど。
着たい服を着るのは、簡単なようで、難しい。