昨日の出来事です
子供の月命日にお寺の住職さんがお経を唱えにきてくれるのですが
その月忌の一年分のお金を渡しにお義母さんとお寺へ行きました。


先代の住職さんがおられて
お金をお渡しした時、突然
「赤ちゃん出来たん?」と聞いて来られて
私が首を横に振ると 
「病院行ってるん?見てもらった方がええんちゃう?」…と。
突然の言葉に驚きましたが
色々費用もかかるのでと苦笑いでごまかして
その場を終えて帰ってきました


80過ぎの先代の住職さん。
子供が亡くなった後、時々息子さんである住職さんの代わりに我が家に来られていました。
亡くなってすぐの頃にも
「親より先に亡くなった赤ちゃんは、天国にも地獄にも行けなくて、賽の河原で石を積む」ということを話されて、酷く動揺した事もあります


先代の住職さんは
悪気などは無いんだろうなぁと思います。
その時に思ったことや知識を話されているだけなんでしょうね。その言葉に責任とか私がどう思うかとかの考えは無いのかも知れません


私がその住職さんの80数年の人生を全く知らないのと同じように
住職さんは、私がどのような気持ちで不妊治療に通っていたのか、子供を産んだのか、子供に会いに毎日病院に通っていたのか、そして子供亡き後どのような気持ちで生きてきたのかを知りません。


だから、仕方がないんやろなぁと
そう思いました。少し凹みましたけど…ね


人は経験して初めて先に経験した人の思いを知る。苦しみを悲しみを知る。
知識も大切だけど、大事なのは経験なのかな…と思いました。


また、同時に先代の住職さんからの言葉は
私が私自身に問いかけていた事でもありました。
子供が授かることへの希望と願いと諦めと
また失うかもという恐怖とでずっと揺れ動いていたので。


先代の住職さんを通して 
「これからどうしたいと思ってるの?」
と言う問いかけを神様からされたような気がしました


そのお返事はお仏壇と神棚に手を合わせてしました


私は今の私を信じて
あるがままの心を信じて生きていこうと思います。

今日やろうと決めたことを全部やりきって一日を終える。
良い一日をありがとうございましたと手を合わせてお礼を伝えて終える。
これをこれからも続けようと
今の私の歩みはまずはここからです。


人からの言葉に傷つく事もたくさんありますが
その中には自分の心と向き合うための大切なメッセージもあるのかな…
昨日の先代の住職さんの言葉でそんなことを思いました。

傷つく事と気づく事は言葉もとても似ていて
表裏一体なのかもなぁ…なんて思いました


最後まで読んで頂きありがとうございました
朝、この曲を聴きながら過ごしました。

歌詞が心にしみます。

「小さくて 壊れそうなこの心で
少しずつ 歩いて行くの
強くなりたくって踏み出せば ほら
空の色 やさしい蒼」