旦那の同僚が亡くなったと知らされた。
42歳だった。
同僚の男性は既婚で、娘がいる。
旦那の職場では子どもの歳が近い者同士、家族ぐるみで遊ぶこともあり、おうたとも面識があった。
おうたがいなくなったとき、その同僚は旦那にこう言ったそうだ。
『俺、癌なんだ。余命も3年って言われてる。だから、おうたのことは俺に任せろ』
と。
その時は、おうたを失った悲しみ、辛さ、全てがキャパオーバーで、360°全方位に悪意を向けている時期で。
それを私に伝える旦那にも、軽々しくそんな事を言ってくる同僚にも心底嫌気がした。
生きてるくせに。
病気だろうがなんだろうが、その時の“今”は生きてるくせに。
奥さんも、子供も、生きてるくせに。
そんな感情が拭えなかった。
余命とか言ったって、結局、医療の進歩で生き長らえるんだろうと。
投薬とか、放射線治療とか、辛いことと隣合わせな人生かもしれないけれど、それでも、きっと、なんだかんだで生きていくんだろう。
そう、思っていた。
けれど、彼は、本当におうたのもとに行った。
彼は死の間際、おうたのことを、ほんの僅かでも思ってくれただろうか。
今はもう、おうたには会えただろうか。
旦那に掛けた言葉を、信じてもよいだろうか。
私は本当に冷徹で非情で、残酷な人間だ。
と、改めて思い知らされた。
他人の死に対して、なんの感情も沸かない。
ただ、あの時旦那に掛けた言葉が現実となって、ありがとうと、感謝の気持ちだけが残る。
約束を守ってくれてありがとう。
おうたに会ったら、父ちゃんがお仕事頑張ってるよって、伝えて欲しい。
同僚の家族が知ったら、間違いなく嫌われる。
感情。
誰にも言えない。
黒い感情。