前回のブログ更新の後…、何故か「(物理学の)場の問題(統一理論・統一場理論)」を考えるようになっていました…。前回のブログでは、”ウィトゲンシュタインとアインシュタイン(二大天才)”の考え方をそれぞれ紹介しました。既存の論理学・科学的路線で考えるのであれば、自分的にも”両者”の見解には同意です。…ですが、やはり、何処か窮屈というか、決定的に”何かが足りない…”と感じるのも確かなのです。Copilot Searchによれば「場とは、空間や時空の各点に物理量が割り当てられ、連続的に影響を及ぼす量のことです。」であり、Wikipediaによれば「物理学において、場は時空の各点に関連する物理量である。」とあります。…(物理学においての)「場」とは、「量的(物理量)な問題」だったのでしょうか…。自分勝手な”門外漢”な意見・仮説ではあるのですが、「場」とは「~コミュニケーション的に発生・成立する~」もの…と半ば確信的に思っております。以前より当ブログでは、既存の西洋形而上学・哲学・科学を、”モノローグ(独り言)的”と批判してきました。その批判の産物が、当ブログ謹製のコミュニケーション概念である「インタラクティブ・モナドロジー(対話型単子論)」でもあった訳です。
前々回のブログで、「『おカネ(貨幣)』を使う」とは「”閉鎖的になりがちな”一対一のコミュニケーションにおいて、「第三者(他者)・社会」を通過させる・介在させること…」と述べました。ある意味、物理学的な「場」も同様のように考えてしまいます。新約聖書の「ルカによる福音書17 神の国が来る」には、
―ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」―
とあります。これも、非常に示唆的に思えてなりません…。
「神の国」が「~あなたがたの間にある~」とは、「場」が「コミュニケーション的に発生・成立する」ということでもあるのではないでしょうか。無論、このような考え方は、既存の物理学的考え方ではありません。当ブログ謹製の「演算概念式(恒真命題の一般化・万物の理論⁉)」、「インタラクティブ・モナドロジー(対話型単子論)」を使えば、十分表現可能(!?)であると考えております…。