ある程度の年齢(私も含めて50歳以上)の方々であれば…、30年以上前世界的に話題となった、F・フクヤマの「歴史の終焉」を、ご存知の方も多いかと思います…。Wikipediaによると、この、F・フクヤマ氏の「歴史の終焉(論文)」が、アメリカの雑誌(ナショナル・インタレスト)に載ったのが、あの”1989年”だったとの事ですから…、正に”タイムリー”でもあった訳です。前回のブログでもチョット触れましたが、確かにあれは…「グローバリズム(グローバル型資本主義)の”狼煙”」だったのかもしれません…、これは今だからこそ言えるんですが…。

 この「歴史の終焉」とは、元々「ヘーゲルの歴史哲学・精神現象学」に於ける考え方です。この「ヘーゲルの歴史哲学・精神現象学」の詳しいことは専門家の方々に譲りますが(?)…、この”ヘーゲル哲学的には”、「歴史(世界史)の終焉」は「世界の統一(統合)」でもあります…。今回は、前回の「世界には、既に”未開(未開社会・未開部族)”は無い…」、「”未開”とは『局所系・部分系』であり、(矛盾のようだが…)『ヒエラルキー構造・中央集権システム』も『局所系』である…」という考察から、更にこのヘーゲル哲学的「歴史(世界史)の終焉・世界の統一(統合)」を考察していきたいと思います。

 前回、「定義付け・意味付け・権威付け」が「ヒエラルキー構造・中央集権システム」の特徴である…のようなことを述べました…。以前より当ブログは、「無常観・万物流転」”推し”ではありますが、物事を「無常観・万物流転」的に考えるならば、この「定義付け・意味付け・権威付け」な「ヒエラルキー構造・中央集権システム」とは、”いかがなもの”なのでしょうか…。…これは、”2024年”の今だからこそ、冷静に、醒めた(覚めた)感覚で考えられるのかも知れないのだが…。やはり、既存的な「ヒエラルキー構造・中央集権システム」は、「無常観・万物流転」的見地からすると、謂わば”吹き溜まり”のような「停滞系・滞留系」であり、大局的には「局所系」と言わざるを得ません…。とは言え、最早”前人未踏”の「未開社会・未開部族」は無きに等しく、更に「おカネ(マネー)・資本主義」という概念は、万国共通である…と考えていいでしょう。

 Wikipediaによると…、ヘーゲルは「イエナの会戦(ナポレオンの勝利)」に、コジェーブは「第二次世界大戦(連合国側の勝利)」に、F・フクヤマは「ソビエト連邦の崩壊(民主主義と自由経済の勝利)」に、それぞれ「歴史の終焉」をみた…とあります。謂わば「歴史の終焉後…」である、今日日の「グローバリズム全盛(?)社会」にあって思うのは、この「グローバリズム」こそが「歴史の終焉」ではないのか…?と思ってしまう訳です。…つまり、”全世界を覆いつくした…”と言っても過言ではない、この「グローバル型資本主義」は、謂わば「(歴史の終焉への)ダメ押し・トドメの一撃」でもあったのではないかと…。

 結論的には…(?)、F・フクヤマやコジェーブに代表される、ヘーゲルの歴史哲学的「歴史の終焉」は、「グローバリズム(グローバル型資本主義)」によって完全に達成された(?)…と考える訳です。ここで特筆すべきは、それが”武力”ではなく、「おカネ(マネー)・資本主義」によってなされたという点です。言うなれば、「世界は”おカネ(マネー)・資本主義”によって統一(統合)された…」のです。…結構、これは面白い見解ではないでしょうか…。