前々回のブログで紹介した、安藤裕(元衆議院議員・税理士)氏のYouTube動画「安藤裕チャンネル 信用創造と国債・完全解説シリーズ(全3回)」は、かなりインパクトがあったのではないでしょうか。今年の2月8日に行われた「タッカー・カールソン~プーチン大統領インタビュー」も相当なインパクトでしたが…、本当の意味での”変わり目・節目”を目の当たりにしている様な気が致します。例えば、「アメリカの慢性的な財政赤字」という”ベタな話題(問題)”があります。でもこれは、前述の安藤氏の「政府の赤字はみんなの黒字」の理屈で考えてみれば、「(通貨)覇権国アメリカの赤字は他国(属国)の黒字」ということにはなりませんか…。安藤氏の解説では、(信用創造的に考えれば)「政府の赤字」は「みんなの黒字」で”(帳簿的には)相殺”されてしまう…、つまり、「政府の赤字」は「みんなの黒字」で帳消しになってしまう…という事でした。オカシな話しにも聞こえますが、「政府が赤字も黒字もゼロ」だったら、「みんな(国民)の赤字も黒字もゼロになってしまう」のです。当然ですが…、そこでは”皮肉にも”「貨幣」の存在も同時に消えてしまう…という事なのです。ということは…、あれだけ声高に叫ばれる「政府の財政赤字」とは、単なる”(税収の為の)方便”に過ぎなかったのか…。

 前回のブログでは、ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考 4.243」と、プラトンの「探究のパラドックス」の問題を「コミュニケーションに於けるコード化(同一性)の問題」として考察しました。これは、非常に微妙な問題で、自分(モナドA)側が、相手(モナドB)側にコミュニケーションするとき(”売り手”が商品を売ろうとするとき)、「コード化(同一性)」が発生すると考えるのです。ここで、考えるべきは「自他(自己と他者)の問題」で、「自分(モナドA)」が「相手(モナドB)」に受け入れられるかどうかの問題であり、それは「変換・交換」を意味します。そこでの「コミュニケーション(対話)・変換・交換」は、「コード化(同一性)」としか言いようがありません。

 そして、「自己(モナドA)側」と「相手(モナドB)側」との「(同一性による)コミュニケーション(対話)」が発展するとお互いに”こなれて”くる訳で、そうなってくると、プラトンの「探究のパラドックス」、「論理哲学論考 4.243」の問題になってきます。この問題になると、このシリーズ㉝で述べた「意味同等性・意味相似性」となり、「同一性(=イコール記号)」ではないと考えます。これもチョットややこしいですが、「プラトンの探究のパラドックス」「論理哲学論考 4.243」と、安藤氏の云う「政府の赤字とみんなの黒字は相殺されてしまう」は、(考えようによっては)同じ様な事に思えてしまうのです。

 …つまるところ、今回の結論として(?)…、やっぱり「おカネ(貨幣)」は要らなくなってくるんじゃないだろうか…。