三年前位、当ブログで「『生産性』の向上?『過剰生産』ではないのか…」というような考察をしたことがありました…。何時も漠然とは感じておりましたが、改めて…世の中の風潮として、全般的に「やりすぎ(過剰)」な感じはしないでしょうか…。これは、今現在、殆ど全ての事柄に共通してしまうような気がしてなりません。…そういえば、現代思想で云う「ポストモダン」という概念にも、どこかしら”過剰性”を感じます。

 ウィキペディアによると、マルクス経済学における企業の「利潤」とは「剰余価値」の現れであり、その「剰余価値」とは「労働者が製品を生産する過程で生み出した付加価値」ということになる…とあります。思うんだが…、この社会(資本主義社会)に於ける過剰性の原因は、主にこの「剰余価値」だとしたら…。「~『利潤』とは『剰余価値』の現れ~」であるならば、全世界殆ど全ての人々(?)が、この「利潤(儲け・利益)」を追求している訳でありますから、必然的に、この「『剰余価値』は増大していく…」傾向にあるはずです…。この様な現象(剰余価値の増大)を、我々は「経済的繁栄」と呼んでいたのでしょうか…。庶民の日常生活レベルにおいても、「お小遣い(自由になるお金)」が多い方が良いはずだし、まして企業レベルでは、(利潤追求は)よりシビアにならざるを得ません…。「マルクスの『資本論』」では、「古典経済学的な『価値』(労働価値説)」よりも、それにプラスアルファな、この「剰余価値」が主役になるとのことですが…。そして、この「剰余価値」が「利潤」の現れであるならば、我々が日々追求して止まない(?)「資本(お金)」も、それらと”同じ類い…”ということになってしまわないか…。つまり、「(企業の)利潤」=(イコール)「剰余価値」=「資本(お金)」のような図式になってしまうのではないか…。

 そうすると、現在の資本主義社会特有(?)の「過剰性」が視えてくる…ようにも思えるんだが…。