今回は、(当ブログのコメント欄で)いつもお世話になっている、gd-fgさんのブログ記事「『二択』との付き合い方」にインスパイアを受けて、考察を…、いや、自論を進めて参りたいと思います。自分が「二者択一(二択)」で思い出してしまうのは、海外ドラマ「24-TWENTY FOUR-」の主人公ジャック・バウアーです。ご存じ、キーファー・サザーランド演じるCTU(テロ対策ユニット)捜査官のジャック・バウアーは、非常にタフで有能であり、時として大胆かつ過激な捜査も厭わないというキャラクターで、文字道理「24時間」殆ど休まずに孤軍奮闘、大車輪の活躍を見せます。キーファー演じるジャックのハマり具合と,TVシリーズ第一回の放映日が2001年11月6日ということもあり、かなり話題になったのも記憶に残るところです。そして、シーズン毎に何回かは、ジャックは、究極(時として最悪)の「二者択一」を迫られる事になります。キーファーの迫真の演技も相まって、ただならぬ緊張感が張り詰めてしまうのですが、その時、ふと我に返って「この二択に正解はあるんだろうか?」と考えてしまった事があります(他ならぬ自分も「24-TWENTY FOUR-」にハマった一人ではあるんだが…)。そこで思うんだが、この時(二者択一選択時)のジャックには、「正解」はあるのだろうか?この時のジャックは、行く事も退く事も出来ない状況で、更にその(二者択一)どちらを選んでも、「身を削られる、心が引き裂かれる」ような思いを味わなければなりません。この「八方塞がり」な状況から脱出するには、時として誰かを傷つけなければならなかったりするわけです…。私は、この様な「二者択一問題」は、大きく二種類に分けられると思っています。「(心に)余裕のある二択」と「追い詰められた二択」にです。「余裕のある二択」は、例えば、レストランなどでメニューを選ぶ様なもので、メニュー選びに失敗しようが、殆ど日常に支障をきたす事はありません。世間一般で言われる「二者択一」は、後者「追い詰められた二択」の意味に近い様に思われます。さて、この「追い詰められた二択」の選択局面に、「正解」はあるのでしょうか?物事には、「原因と結果」がありますが、この「追い詰められた二択」は、この「追い詰められた状況(時点)」で、既に「結果」なのではないでしょうか?考え方が少し変わってしまいますが、「追い詰められてしまった時点で、既にヤバい」のです。その点では、現代社会も同じくして、常に人々を追い詰め、選択(二者択一)を迫ってきます。根本的に方向性を誤ってしまったのかもしれません。やはり、(ジャック共々)全てのモノを見直さなければならない処まで来てしまっているのでしょう。