こっちのブログでは、にゃんこの話を避けていたのだけど
考えていることとか難しいこと?はこっちでいいかな…と思ってます
私の気持ちの都合、なんですけどね

今夜の生き物にサンキューというテレビ番組を見ていて
地域猫のお話をしていました
見ていた猫好きな方も多かったと思います

そこで
殺処分ゼロ
ノラネコゼロ
の言葉が出ました

この時、私の中で妙に納得できたんです

私が初めて地域猫活動に出会ったのは
まだ学生の時
友人のお母さんが、近所のノラネコを避妊手術させてる話を聞いて
そんなことしているんだとびっくりしました

私の家は
家族全員がアレルギーというのもあるのですが
母親が動物嫌いで…
何か動物を飼うなんてとてもできませんでした
猫が大好きな私には
時折出会う外飼いの猫やノラネコが
ものすごい癒しでした

因みにその友人の家には飼い猫もいて
近所のノラネコにもご飯をあげている
私にとっては癒しが多い家でした

正直、
野良の仔猫を見たのは大人になってからだったし
それも見れたらラッキー!くらい出会うこともなかったし
上のにゃんこを迎えるまで、仔猫はペットショップでしか見れないものだと思ってた

埼玉に引っ越してきて
保護猫のカフェができるほど
保護猫がいることにびっくりした
それまでニュースで殺処分の話を見ても
実感は沸いてなかった

保護猫カフェの存在を知って
思っている以上に、愛護センターに連れ込まれている猫がいて
殺処分の話に目がいくようになって
そこから地域猫活動の話にも目がいくようになって…

それでも
ノラネコの避妊手術は
ずっと心の中でくすぶっていた

今、2匹目のにゃんこをお迎えして
来月には避妊手術を予定しているのだけど
1匹目のにゃんこの避妊手術について
今でも本当にそれで良かったのかと考えることがある
穏やかな猫生が送れる、その一心で受けたけど
それは命に対して正しい行為なのかな、って今でも考えている
うちの子は、子供を産めないこと対して
私を恨んでないのかな、って
子孫を残せないって、本能ではどう感じてるのかなって
避妊手術は私のエゴだったんじゃないかと思うと申し訳なく思う
いつかこの子の血をひいた子がいたら…って私自身が思うことはないのかな、って何度も思った

穏やかな猫生、そのためと納得するしかないとは考えているけれど

そんなこと考えているので
外で生きる
飼い主がいないノラネコさんたちは
苦しい猫生かもしれないけど
野生として本能で生きているニャンコなのに
避妊手術をしてしまって
それで本当にニャンコは幸せなのかな、って
思ってた
野生なら子孫を残したいと思うのは当たり前なんじゃないのかな?って

ノラネコが減っちゃうじゃん、私の癒しが減るじゃん!
っていう我儘があるのは否めない

番組の中で出会った
ノラネコゼロ

…そっか、ノラネコさんいなくなったら
いいよね、ってことで活動しているんだって
そこで妙に納得できた

うちの親のように、ノラネコに怒ってる人
庭でトイレをするから
大きくて動いて怖いから
得体が知れないから
だから、キライ
ノラネコなんていなくなったらいいと思ってる

片方でにゃんこ大好きな人
ノラネコさん、辛い猫生でかわいそう
かわいそうなにゃんこは見たくないから
増えないように避妊手術させよう
いつかノラネコがいなくなれば
かわいそうなにゃんこはいなくなる

例えばで出してみたけど、この2つの立場が合わされば
ノラネコゼロという最終目標に向かって
動いていくんだ、それが地域猫活動なんだって
やっと自分の中で答えが出た気がした




だからなんだ、というわけじゃないのだけど
感じたことを残しておきたかった



私のこの捉え方は
極端なものなのかな、とも思うし
野良の子の中には
飼育放棄で捨てられた子もいるんだろうし
野生と私は書いたけれど
純粋な野生とは違うのだろうとも思ってる

…なんか難しいな
2匹のにゃんこと暮らして
今はとても幸せ
いろんな意味で幸せをこの子達から貰ってる
だから、我儘かもしれないけど
私にとって我が子が大事
その上で
何ができるのか、ここから考えていけたらいいなと思う

{34C2F185-88A2-4F90-91A7-966CFDBD72F6:01}