image


【厳しい家庭環境から得たもの】

私の両親は
組合や平和の活動を通し出会い、
ライフワークとして
70を過ぎた今も続けています。

その活動の忙しさもあって
特に母は休日など無いに等しく、
私はとても寂しい思いをしました。

その忙しさから
両親の諍いも毎日の様でした。

大人になった今の私には、
母の仕事に寄せる想い、
そうで無くては母が母らしく
生きられなかったのだとわかります。

でも当時は分かりようが無かった。

そして、
平和を唱えているのに
なぜ両親が諍うのか、

その矛盾が
理解できませんでした。

私の心は荒み、
弟も不登校(私も)、

何度もサインは出ていたし
私が摂食障害や強迫神経症になっても
変わらなかった。

喧嘩が絶えない家庭を置いて
何が平和か?

でも今当時を振り返り
また広く深く観てみると
それはうちに限ったことでは無い。
そして

矛盾を感じる私の中にも
それがあった。

内側を観ずに
外側の問題ばかり変えようとしている。

自分を観ずに人にばかり
変わってほしいと言っている。

飢餓や貧困、
戦争や環境破壊、

そんな社会の“負”は

個人の“負”無くしては
存在できない、

個人の内側の課題を
外側が投影しているのだ。

私も昔は今よりももっと
人を変えたいと思っていた。

変わる方が幸せなのだから
自分の言ってることは正しいと
押しつけていた。

せめてそれだけはやめようと、
自分から始めたいと思う。

私の内側を満たし
家族の和から
世界の幸せを願っていくのだ。

それに気づくための両親や

育った環境だったのだろう。