節というのは

一つの

章とも云える。幕とも云える。


そんな場面が切り替わるタイミング。



毎年やって来る節分ですが

人生でも

そんなタイミングは

振り返れば結構あるもの。


それを丁寧に見返すと

意外な寄り添いが

浮かび上がって来ることも。


私の場合…

文章を書くことは 寄り添いだった。



幼い頃には

自分の世界や感覚を保つ為の創作物語。


いまいち馴染んでいない小学校生活で

表舞台へと導いた作文。


大勢の前での演説台本。


心の納得のないままに始まった

会社員生活での独自社内報。


辛いリハビリを伴う手術と入院生活の

心の平安を生んでいた創作物語。


恩師との書簡。


ネット上のブログ。


色彩療法や

ヒプノセラピー活用のテキスト作り。


そして

現在に生み出されている小説たち。



私の人生の節々で

書くことは 直ぐ側にあった。


でもそれが

寄り添いだったとは気付かなかったし

その時々の誰かを温めていたとも

思わなかった。



いつも何となく

中途半端で何にも形に出来ずにいる。

そんな感覚が

自分に対して拭えないけど


ずっとずっと

書くことは続いていたんだなぁ。

と感じる。



どんなに節を分けても

変わらず寄り添っているもの

自分と伴走してるものは

あるのかもしれない。




約束の情絲 



幻鏡 





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マグノリア