2020年 12月から始まった物語。
そのなかで三部作になったものがある。


今 完結編となる三部目を書いている

ワタシの物語。




1作目から合わせると

原稿用紙換算で

ざっと 750枚位の物語。


隣接する三国に暮らす

王族とそこに関わる人々の物語。


この3部の中で

7人もの僧侶が登場する。


主要に活躍するのは

この内の4人。


多いな(笑)





もう25年ぐらい前に

僧侶になりたいと思った時期があった。


たぶんその頃

名のある作家さんが出家する。

という事が続いた。


その影響もある。


ワタシ自身

ただ現状から

逃げたかったのかもしれない。



出家して

日々を静かに暮らし 経典を読み 唱え

言葉を綴る。


そんな暮らしを想像し憧れていた。





でも何故か?


僧侶への憧れは

それより前からあったように思う。

10代の頃から。


三蔵法師に憧れている…… 今も。




ワタシの行き着く先…


美坊主に

最終的にはなりたいようだ。(笑)






3部作の物語のなかで

僧侶たちは 実によい働きをする。



人をたしなめ 慰め 励まし鼓舞する。


そして

時に無邪気で 苦悩し まっすぐ心に向かう。



こんな言葉が出てくる僧侶は

凄いなぁ… とワタシ自身が心を動かされる。



こんなふうに

寄り添える僧侶が居てくれたらなぁ。

と思う。




まるでセラピストだ。

と度々感じる。



僧侶とは セラピストなのかもしれない。




経典を聞きかじった部分だけで言えば

その中にたくさんの物語がある。


例え話の宝庫。

名言の宝庫。


それに

心の在り方とか 誰かの失敗談とか

たくさんあって


まるで心理学大全集みたい。



そう思えば

僧侶は 

世の中の様子や心理学を日々学んでいる。

とも云える。



ならば

ワタシの中では

僧侶とセラピストは イコールだ。




僧侶には 還俗というシステムがある。


俗世に還ることだ。




でもきっと

香の染み付いた僧侶は

還俗しても僧侶なのではないか?と思う。



つまり

その世界にあるから僧侶なのではない。

ということ。



俗世にいても

僧侶の心は消えないのではないか?

ということ。



そういう僧侶は

俗世にいても セラピストなのだと思う。

そのように在るのだと思う。



これは全て

ワタシが物語を書かせてもらってる中で

出逢った僧侶について

感じ取ったこと。



現代に実在する僧侶について。ではない。