お久しぶりです。

だいぶ期間があいてしまいました。


息子は生後1歳8ヶ月、修正1歳6ヶ月になったので
先月フォローアップで通っている病院で
発達検査をしてきました。




結果の前に最近の息子の様子を。


《運動面》
ズリバイは出来るがハイハイはまだ
お座りは手をついて片手を上げられるレベル
割座ではたまに支えなしで数秒座れる
掴まり立ちは出来ない 
人差し指でおもちゃの小さなボタンを押せるようになった



《精神面》
いただきますとごちそうさまはたまに出来る
バイバイは出来ない
意味のある単語はまだ出ない
おしゃべりは好きで喃語?宇宙語?みたいな言葉を話している
後追いしない
人見知りもあまりしない
指先しまだ




ざっとこんな感じです。



運動面なんて同じ月齢の子は
走り回ってたりしてますからね!




これだけ遅れていれば何かあるだろうと思っていて、
何かあった時、1人で受け止められる自信がなかったので、検査結果は旦那さんにも一緒に来てもらいました。
ですがコロナの影響で病院内に入れるのは両親のうちどちらか1人しか入れなくて
仕方なく私1人で聞きにいきました。











検査結果は
運動面は生後6ヶ月
言語や社会性、認知は生後8ヶ月でした。




運動面、これはもはや想定内で
その他はもう少しあるかな?と思っていましたがこのような結果でした。



運動面が遅れていれば
精神面も遅れることが多いので
今考えると8ヶ月あったのは良い方だったのかもしれません。






何度も書いていますが
息子は首座りから遅れていて
首座りOKをもらってからも抱き抱える時は
首が座ってない子みたいに頭が後ろに下がったままになります。

ですが縦抱きすればちゃんと支えて真っ直ぐしていられます。



かかりつけの先生や市の検診でも
聞いたりしましたが
みんなちゃんと首は座っていると言うだけで、
そのことがずーっと気になっていたので
発達検査の時、心理士さんにも相談していました。







そして発達検査の結果を聞き
先生がいろいろと説明をしながら、
突然パラリンピックの選手の話をし始めました。






先生『パラリンピックのあの人もねー首がカクッカクッてなるんだよね。すぐ疲れちゃうから脳性麻痺の人はあんな風になっちゃうんだよね』って。





一瞬、何を話しているの!?
脳性麻痺って何!?
と身体中の血の気が引いていき
心臓だけがバクバク動いて
胸がギューって締め付けられて
パニックになりながらも




私『え!?この子脳性麻痺なんですか?
脳性麻痺の疑いですか!?』と聞きました。



先生『おそらく脳性麻痺です。これまでの発達を見て、妊娠中も胎児発育不全だったでしょ?その時に脳も大きくなれなかったのかもしれない』



私『それで歩けるようにはなりますか!?』
 


先生『歩けるようになっても装具が必要になるかな。そしてすぐ疲れてしまうから、長時間は歩けない。車イスが必要になるかもしれない』




私『知能面はどうですか?』




先生『今はまだ小さいから分からない。それを検査出来るのが3歳ぐらいになってからかな。
何事も運動から発達していくからね。文字を書くのも目を動かすのも全て運動なんだよ。声は出てるしおしゃべりは出来そうだけどね』




私『普通の学校には通えますか?』




先生『普通の学校には通えるよ。だけどそれがね息子くんにとって無理をして通わなければならない場所なら、合っている場所を考えてあげないといけないよね』





先生『それとこれから療育手帳を申請して、しばらくしたら障害者手帳も。児童扶養特別手当、産科医療補償制度も対象になる、それはこちらで手続きできるからね。車イスとかいろいろお金がかかるから』





私から泣かないように冷静に質問出来たのはこれだけでした。







その後先生から脳性麻痺について詳しい説明はなく、次回は4ヶ月後のフォローアップになりました。




先生は脳性麻痺と言われショックを受けてパニックになっている私の為に、それ以上詳しい話をしなかったのか?今もそれは分かりませんが。










4月22日、息子が障害者になりました。

この日が私にとって今まで生きてきた中で
1番辛く悲しい日になり
この日から絶望しかありませんでした。




療育手帳?障害者手帳?産科医療補償制度?
お金なんていらない、
1円もいらない、
そんなのいらないから健康な息子をちょうだいよ!そんな気持ちでした。






診察が終わり息子ギューっと抱きしめて
駐車場で待つ旦那さんの元へと戻り
泣きながら話しました。



旦那さんは泣きもせず、なってしまったものはしょうがない!そんなクヨクヨしたって何も変わらないよ!と言いました。



息子が脳性麻痺と聞いてショックがないはずないんです。
でもきっと私が泣いているから我慢してくれたんだと思います。



旦那さんはいつも常に前向きで、
なるようになる精神の持ち主です。
逆に私はネガティブ、いつまでも考え込んでしまうタイプで
今までも旦那さんのポジティブさに助けられてきました。
そしてこの日からもずっと助けられています。





だけど1人で脳性麻痺の診断を聞かなければならなかったのは
とてもとても辛いものでした。







診断された日、
仕事帰りの母がたまたま家にやってきました。



発達検査の結果と診断の話をして
大声で泣きました。
母は私を優しく抱きしめてくれました。



『命があるならいいじゃない!
みんなで育てていこう!
ばぁばも長生きしなくちゃ!』と言ってくれました。



母もスーパーポジティブな人で
自分が2回癌になった時でさえも
なったものはしょうがないよ!
そんな考えて悩んでもねぇ?と笑って言うような人です?




ですが、母が父に息子の話をした時は
号泣だったようで
父もそんなに泣かなくても、死ぬわけじゃないんだし!と言ったほどだったと後から聞きました。




父は息子より私を心配してくれているようで、
シャイなところがあるので
直接ではなく母に○○(私の名前)は大丈夫か?とよく聞いてくれていたみたいです。




義両親も息子くんは生きてる。
ゆっくりかもしれないけど成長してる。
その成長をみんなで言葉にしながら喜びましょう。
と言ってくれました。







33週1384g、
胎児発育不全、常位胎盤早期剥離
妊娠高血圧症候群
緊急帝王切開


このような状態でも
アプガ-スコアは8点でした。



産まれた直後はたくさんの病名がありましたが
ひとつひとつ乗り越えてきました。



入院中とGCU退院前の脳の検査も異常なし
生後7ヶ月水頭症疑いでのMRIも異常なし
脳波も異常なし



だからどこかで脳は大丈夫かなと思っていました。
でも画像には写らないどこかに異常があったんでしょう。






たくさん泣き、時間も少しも経ち
脳性麻痺の子どもさんがいる方のブログを読みあさって、
今は出来ることをしてあげようと思えるようになりました。
だからブログも書いています。






私が今たくさんのブログに励まされているように、
息子の成長過程や私の心の葛藤が
いつか誰かの役に立てたら
生きる希望の1つになれたら
それだけでも息子は生まれてきた意味があると思うんです。
なのでこれからもどんなことも包み隠さず
綴っていけたらなと思っています。






まだまだスタート地点。
未熟で弱く、障害児の母になったばかりです。
これからたくさん大変なことが待っていると思うけど、
その分息子が世界一愛されていると思えるように
たくさんの愛情を注いでいきたいと思います!




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本当にいつもありがとうございます(*^^*)