今日、数年前猫を亡くした友人と会いました。

 

先日の、保護団体さんの経験

(亡くなった先代犬の姿が子どもだけに見えていた話)をすると

 

彼女も、夜寝ていると猫が自分の体の上を歩いてきて眠る、という感覚を経験したことがあるそうです。

 

彼女もそういうものが見えてしまう人などではないのですが。

 

私でさえ足音を聞いたことがあるのですから

 

やっぱりいるのかな・・・。

そうだといいのに。

 

人間みたく、死んだら天国に行くんだとかそういう意識がないわけなので

 

そのまま一緒にいてくれるのかもしれません。

そして私たちが死ぬときも一緒に来てくれるのだと思います。

 

ところでケーセンのぬいぐるみってご存知ですか?

ドイツ製のぬいぐるみなんですが。

 

ここの柴犬のぬいぐるみがリアルで良いです。

小さいですが

 

うちは先代の赤柴と黒柴

ふたつのぬいぐるみを仏壇代わりにして

毎日声をかけたり撫でたり

お水やごはんなどあげていますが

 

ルナのぬいぐるみも買おうかなあ・・・

 

それを言ったら先々代のぬいぐるみも欲しくなるわけですが

キリがないので、先代たちもひとつのぬいぐるみでいいじゃん、と思ってはいるのですが

 

やはりどうしても今の二つは先代のライムとプラムにしか見えず。

 

ちょっとお高いんですけど

 

ツレには内緒でこっそり買って

こっそり二匹のぬいぐるみの隣においてみようかと思いますw

 

 

今日友人とも話していたのですが

 

私の人生の価値観が本当に変わったなと思います。

 

階段を上るようにスキルアップするように生きるのが

正しいことのようにどうしても思ってきたのですが

(そういう教育を受けたからです。それが世界の「真理」ではありえません)

 

もういいかな、と。

 

何かで成功したり

自分の夢をかなえたり、とかねw

夢の実現、とかw

 

もうそういうの、いいかなと思っています。

 

そうではなく

もう

 

今を楽しんで生きていくことにしようと。

 

大学や読書や旅行や制作や。

 

もちろん仕事はするしかないですがw

 

でも仕事に情熱とかもういいや・・・

 

けっこう仕事至上主義的に生きてきて人生でしたし

それはそれで素敵なことだと思うし

自分の好きな職種につけたことは幸運だとも思っています。

 

でも、

 

なんとうjか

 

人の役に立つとか立たないとか

 

天職だとかそうでないとか

 

もうそういう全てがどうでもいいことです。

 

働くことが楽しいと思えるのはいいことですが

もうそれもどうでもいいことw

 

気分は隠居ですね。

 

そうだ!隠居しよう私!

 

仕事はしますけどーーーするしかないですけどーーー

 

あとの人生はもう流れるように

旅するように生きよう。

 

そう思います。

 

本当は私は大学で哲学を学んでおり

そこに至るまでの思想にはいろいろいろいろあるのですが

 

そのいろいろいろいろを含めて

 

この世界を旅するように(旅行にいくという意味ではなく)

生きようと思います。

 

仏教の思想では(私は無宗教ですが)

人間はかりそめにこの世に生まれてこの世を味わい

そしてまた帰っていくという存在だそうで

 

この世に生まれたのは

旅のように「味わう」ためだそうです。

 

そんなふうにあとは生きていこう。そう思います。

 

ルナのことがなければこんな風に思えなかっただろうな・・・

 

犬がいなくなってしまって

なんでもできるようになって

 

そして思った

 

なんでもできるということは

 

むしろ

今のままでさらりと生きていくことなんだと。

 

でもそれは決して

悲観的になったとかそういうのとは違います。

 

うまく言えないのですが

生まれて初めて穏やかな気持ちになれたような感じ。

(もちろん悲しみは消えないですが)

 

きっともう心配する存在が私にはないからなのかもしれない。

 

ぬいぐるみ、買おうっと!

ツレの反応が楽しみですw