エジプシャン 木村カスミより シェアさせていただきました


写真: エジプトの生んだ20世紀最大の歌手。 
「ウンム・クルスーム」 
日本で言うとよく「美空ひばり」のような国民的で偉大なる歌手に例えられるけど、 
スケール的にもっと大きいような気がします。 
こちらのサテライトTVでモノクロ時代、彼女の定期的コンサートの様子の映像がよく流れていますが、そんな時 私はいつも観入って聞き入ってしまいます。 
英支配、その後王政から本当の意味で独立する事になる時代。 
ガマール・アプドル・アンナーセルの起こした軍事クーデターで激動した エジプト近代史と共に生きた偉大なる歌手。 

彼女に魅入ってしまうのは、その素晴らしい歌声だけでなく、 
激動の時代をエジプト国民と共に歌を通して生きた 
「エジプトの叫び」 
を感じるからだろうか。 
こちらエジプト国際都市、カイロで踊る一線のダンサー達は 
ウンム・クルス―ムの曲をどれだけ踊りこなせるかで力量が問われたりする。 
それによってお客さんの評価が決まったりもする。 
プロのダンサーにとってはとても大切なレパートリー曲には間違いない。 
それは表面的な踊りの振りやテクニックを身につければいいものではなく、 自分がどう生きてきたかを表現する、いえ、しなくてはならないからではないだろうか? 
その人生経験、人間誰でも経験するようなそれぞれの思いや感情に触れ、 共感し合う。
その時観客と歌手と楽団とそしてダンサーは一体となり素晴らしい空間を作る。
そんな時、ダンサーはお客さんから生の楽団から吸いつくような空気を感じる、これはたまらない。 
こういうのを本当の意味でエキサイトすると言うのかもしれない。 

時代の激動する瞬間。 
時は大変な時期を迎えるのに、人々の目は輝いていたりする。 
2011年、1月にムバラク政権を倒したエジプト民衆の目はそんな目をしていた。人々は皆エキサイトしていた。
もっと言うと希望に燃えていたような。 

それが今はない。 

ナセルの起こしたクーデター革命後は時代が動いていた。 
「エジプト」「ナイル」「アラブ」などを歌に込めて自身の存在感を誇らしくしていたようだ。
その時代に生きたウンム・クルス―ムはそうした文化的背景を共有している事を「歌」を通して身を持って示した。そんな意味でも偉大なのである。 
そんな中だから、この時代素晴らしい音楽芸術家がこぞって登場する。 
彼女が伝説的歌手となったその時代の背景と、それを支える作曲家、作詞家など周りの素晴らしい音楽芸術家にとても恵まれた事も幸運な事。 
その時代のエジプトは、音楽、歌手、ダンス全ての芸術が花開いたゴールデンタイムと人は言う。
 
そんな素晴らしい偉大な歌手、そしてその時代の音楽芸術家に触れながら 3月の日本でのWSの中には、 エジプト・アラブ近代的歌謡、音楽への推移を ウンム・クルス―ムに焦点を当てながらもそこに投影されている伝統を しっかり感じ合おうと思います。 

そしてその代表大作を一つ最後には、歌に含まれる感情を深く理解しながら、 表現豊かに 振りでじっくり仕上げましょうという 大掛かりなWSクラスも東京であります。 

こうして3月日本各地でのWSや公演スケジュール日本でのスケジュールの直前でも今は観光客も少なく、静かなナイル側のホテルやクルーズでのレギュラーやウェデイングを掛け持ちして、急に物凄く忙しかったりもする日々。 

写真は遅い時間のクルーズで、やたらモダンなガールズが多いグループ。 
     
彼女らを誘ってステージに連れてきたら楽団も喜んでいたな。 
   
妙な盛り上がりのステージの後、次の場所ウェデイング会場に到着すると 外ではザッファ(めでたい時祝福するリズム)がけたたましく、 
なっており ザッファ楽団(ドフ、ミズマール)やザッファダンサーズが踊り、 演奏し新郎新婦を出迎えていた。 

その混雑しているお客さんの中をかき分けて、私は会場の自分の控室に入る。 
どんな時期でも人々は結婚をし、比較的プログラム控えめな結婚式が多い昨今 このように各種ショーの前にザッファ隊があったり、私が踊ったベリーダンスプログラムやら 、歌手、タンヌーラショーまであった。 
(私のショーの前のタンヌーラダンサーと) 
革命後にしてはめずらしく派手なウェデイングでした。 
私のショーが終わった後もパーティは続いていた。
 
そのショーを終えて深夜2時、自宅の帰路途中車の中から 
全ての何千年ものエジプトの歴史の流れを見てきた 
ウンム・クルスームもこよなく愛した、 
この静かに深い夜の中を流れるナイル川を見る時、 
「やっぱりエジプトっていいな」 
なんて思う。 
ウンム・クルスームが恋愛の歌を歌う時、 
そこには男女間だけでない、広く大きな昇華された 
彼女の愛国心のようにすら感じてしまうのは 
私だけなのだろうか。


エジプトの生んだ20世紀最大の歌手。
「ウンム・クルスーム」
日本で言うとよく「美空ひばり」のような国民的で偉大なる歌手に例えられるけど、
スケール的にもっと大きいような気がします。
こちらのサテライトTVでモノクロ時代、彼女の定期的コンサートの様子の映像がよく流れていますが、そんな時 私はいつも観入って聞き入ってしまいます。
英支配、その後王政から本当の意味で独立する事になる時代。
... ガマール・アプドル・アンナーセルの起こした軍事クーデターで激動した エジプト近代史と共に生きた偉大なる歌手。

彼女に魅入ってしまうのは、その素晴らしい歌声だけでなく、
激動の時代をエジプト国民と共に歌を通して生きた
「エジプトの叫び」
を感じるからだろうか。
こちらエジプト国際都市、カイロで踊る一線のダンサー達は
ウンム・クルス―ムの曲をどれだけ踊りこなせるかで力量が問われたりする。
それによってお客さんの評価が決まったりもする。
プロのダンサーにとってはとても大切なレパートリー曲には間違いない。
それは表面的な踊りの振りやテクニックを身につければいいものではなく、 自分がどう生きてきたかを表現する、いえ、しなくてはならないからではないだろうか?
その人生経験、人間誰でも経験するようなそれぞれの思いや感情に触れ、 共感し合う。
その時観客と歌手と楽団とそしてダンサーは一体となり素晴らしい空間を作る。
そんな時、ダンサーはお客さんから生の楽団から吸いつくような空気を感じる、これはたまらない。
こういうのを本当の意味でエキサイトすると言うのかもしれない。

時代の激動する瞬間。
時は大変な時期を迎えるのに、人々の目は輝いていたりする。
2011年、1月にムバラク政権を倒したエジプト民衆の目はそんな目をしていた。人々は皆エキサイトしていた。
もっと言うと希望に燃えていたような。

それが今はない。

ナセルの起こしたクーデター革命後は時代が動いていた。
「エジプト」「ナイル」「アラブ」などを歌に込めて自身の存在感を誇らしくしていたようだ。
その時代に生きたウンム・クルス―ムはそうした文化的背景を共有している事を「歌」を通して身を持って示した。そんな意味でも偉大なのである。
そんな中だから、この時代素晴らしい音楽芸術家がこぞって登場する。
彼女が伝説的歌手となったその時代の背景と、それを支える作曲家、作詞家など周りの素晴らしい音楽芸術家にとても恵まれた事も幸運な事。
その時代のエジプトは、音楽、歌手、ダンス全ての芸術が花開いたゴールデンタイムと人は言う。

そんな素晴らしい偉大な歌手、そしてその時代の音楽芸術家に触れながら 3月の日本でのWSの中には、 エジプト・アラブ近代的歌謡、音楽への推移を ウンム・クルス―ムに焦点を当てながらもそこに投影されている伝統を しっかり感じ合おうと思います。

そしてその代表大作を一つ最後には、歌に含まれる感情を深く理解しながら、 表現豊かに 振りでじっくり仕上げましょうという 大掛かりなWSクラスも東京であります。

こうして3月日本各地でのWSや公演スケジュール日本でのスケジュールの直前でも今は観光客も少なく、静かなナイル側のホテルやクルーズでのレギュラーやウェデイングを掛け持ちして、急に物凄く忙しかったりもする日々。

写真は遅い時間のクルーズで、やたらモダンなガールズが多いグループ。
    
彼女らを誘ってステージに連れてきたら楽団も喜んでいたな。
  
妙な盛り上がりのステージの後、次の場所ウェデイング会場に到着すると 外ではザッファ(めでたい時祝福するリズム)がけたたましく、
なっており ザッファ楽団(ドフ、ミズマール)やザッファダンサーズが踊り、 演奏し新郎新婦を出迎えていた。

その混雑しているお客さんの中をかき分けて、私は会場の自分の控室に入る。
どんな時期でも人々は結婚をし、比較的プログラム控えめな結婚式が多い昨今 このように各種ショーの前にザッファ隊があったり、私が踊ったベリーダンスプログラムやら 、歌手、タンヌーラショーまであった。
(私のショーの前のタンヌーラダンサーと)
革命後にしてはめずらしく派手なウェデイングでした。
私のショーが終わった後もパーティは続いていた。

そのショーを終えて深夜2時、自宅の帰路途中車の中から
全ての何千年ものエジプトの歴史の流れを見てきた
ウンム・クルスームもこよなく愛した、
この静かに深い夜の中を流れるナイル川を見る時、
「やっぱりエジプトっていいな」
なんて思う。
ウンム・クルスームが恋愛の歌を歌う時、
そこには男女間だけでない、広く大きな昇華された
彼女の愛国心のようにすら感じてしまうのは
私だけなのだろうか。