今回はよそへ寄稿したエッセイです。なるべく優しめに書いたつもり
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現代社会を眺める際民主主義は不可避な話題であり、今までの過去とこれからの未来を結びつけていく際話題の中心に存在しうるキーワードとなろう。今回は民主主義というものについて私なりの歴史観で切っていこうと思う。
民主主義とはそもそも何か。民主主義のルーツを辿ると古代ギリシャに辿り着く。古代ギリシャ人たちは外敵から身を守り、食物などを共有するために集住した。この中で合議のもとで政治が行われていったのである。誰かが強大な力を持つことがなく、話し合いの下で自分たちの意思決定をしていく。それがギリシャ的民主主義であった。このような政治の形態は西洋だけではなく日本でも見られた。その代表となるのが室町時代の惣村であろう。寄合のまとめ役はいるものの、村人は皆、神の前で平等であり、一味神水して合議によって政治を行った。このように民主主義は平等の下皆の話し合いによって行われるフェアなものであり、文明化された我々が採用すべき政治的方法であると多くの者が考えるに違いない。独裁は打倒されるべき悪しきものであるという風潮が蔓延するのもそう不思議ではない。
現代中東では数多くの独裁政権が誕生してきた。代表的なところだとイラク・エジプト・リビア、ある意味ではサウジアラビアだって独裁国家である。そんな彼らは昔から独裁がずっと続いていたのかと言えばそうではない。アラブ民族のみに関して言えば、彼らは部族制を柱として遊牧民のように各地を転々としていた民族であり、部族長の下で合議によって意思決定がなされた。部族長が一族で強権を握ることはあっても根底にあるものは合議である。
では何故、合議を重んじる彼らは「独裁化」していったのか。イラクを例にとれば、彼らは第2次世界大戦前はイギリスの政治的影響下に置かれており、戦後は冷戦の状況下で社会主義・共産主義など様々な思想が政治に影響を及ぼした。このような中でイラクの政治は親英・反英、社会主義派・共産主義派、スンナ派・シーア派など様々な思想家たちによってなされた。当然ベースとなる思想が違ったら政治の目指す方向性も違ってくる。共和制を樹立しても政権与党が数年ですぐに打倒されてしまっていたのはこのような背景がある。そのようなバラバラな政治をまとめあげたのがご存知「サダム=フセイン」である。彼は国内を安定化させるため、強いリーダーシップを発揮した。いわゆる「独裁」である。
ルソーは著書『社会契約論』で3つの政治形態のうちの民主制についてこのように述べている。
「民主制もしくは人民政治ほど内乱・内紛の起こりやすい政治形態はない。というのは、民主制ほど、烈しくしかも絶えず政体が変わりやすいものはなく、その存続に、警戒と勇気が要求されるものはないのである。」(第三篇、第四章)
自国内では政治が安定しない。国外では冷戦で米ソが対立しており、小国が彼らの影響を直に受けている。小国は少しでも自立して米ソに立ち向かっていかねばならない。そのような中で国内の混乱を抑えるために、強力なエリートが政治を握っていったというのは自然の流れのように感じられる。これは19世紀ヨーロッパで主流であった、エリート志向型政治観と何ら変わらない。大衆はエリートに政治的決断を委任し、誤りがなされたときはエリートに責任を問う。ヨーロッパにおいてでさえ、このようなエリートによる一種の「独裁」が容認されていたのである。これが現代のような政治観になったのは20世紀においてポピュリズムが台頭してからである。つまり、アメリカの中東に対する「独裁」敵視は、アラブ側の伝統や事情を無視した一方的なポピュリズム的見方であると言うことができる。
このように、民主主義を巡る歴史は現代の問題と密接に関連している。未来を作る我々が民主主義の意義というものを改めて問い直していく必要があるとは思わぬか。
ーーーーーーー以上引用ーーーーーーー
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