スマホで再生すれば、すき間時間に読書ができるという触れ込みのオーディオブック。

コロナで直接人と触れ合う機会が減ったり、また乗っている車のオーディオ装置が不調になったりという事情もあり、結構活用させております。

 そのあたりは過去ログ

 

  で紹介しましたが、まじではまるきっかけになったのが、ミーハーですが以下の作品です。

 

 個人的に喉頭がんで放射線治療を行う羽目になった時期に出会ったのが、この作品で、映画にもなったらしい。

映画のほうは原作とはタイトルと登場人物の名前などは同じですが、内容はかなり違ったものになっているそうです。

まあ、自分もがん宣告を受け、年齢的にも定年間際のアラカンといわれる時期に差し掛かったもので、残る生涯を少しでも意義あるものにしようと、毎月1500円を支払って知的欲求を満たす努力を些少ではあるが行うようにいたしました。

 その中で最近の出会い、数点を紹介いたします。

 生物学者の視点から読み解く死と生の意義。意識してか知らずしてか、個体は自己完結するのではなく、種の再生のために自己の生を葬るときもある。ヒトも生物であることに変わりはないから、と思いながら、人には民族や国家のストーリーの中で生きている。人間にとって死は自分自身だけのものであろうか?突きつけられた課題に対し答えを出すのは自分自身でしかない。

 

 今度は医学的見地から見た人間とは何ぞや?という問いかけ。一読(一聴)しただけでわかりましただなんて言える安っぽい存在ではないはずですよね、人の生死とそれを守るべき医学の立場とは。まだまだ学ばねばなりません。

 

 生物学、医学ときたら、今度は哲学の見地からの世界へのメッセージです。特に情報社会の発展、第五の産業革命ともいわれる人工知能の発達の成果など、哲学の水平線も新たなきらめきを追いかける時代になっているというのが実感させられました。「人間とは」「人間そのものの存在とその価値とは」わしにはまだまだ見えとりません。

 



 そして、古典的近未来小説がこれです。1984年って、わしが大学へ入学した年ですから。それだけに特別な思いを持ってよいのですが、今まで触れる機会がありませんでした。なんという怠慢ぶりなのでしょうか、と不勉強を悔いても取り返しはつきません。が、まだ時間は残されております。とはいえ、途中、つまり読みかけ(聴きかけ)なもので偉そうなことは言えませんが、
 1980年代の初頭、つまりわしが高校生だったころの歌を思い出しました。
 

 

  結構かっこいいバンドだと思っておりましたが、いつの間にか失速してしまいました。

 

決して安い投資ではありませんが、活字を目で追うだけの読書では得られぬ収穫もあると信じております。いつまで続けられるかわかりませんが、知識欲を満たしてくれるサービス、これからも有効活用したいものです。