こんばんは☆桜子です。








今日は特別編、というか⋯私の気持ちを書けるだけ書いておきます。




フリーライターでフリージャーナリストだけど、多分文章はめちゃくちゃです。



そこら辺、目をつぶって頂けたらと思います。











◎『フラワーデモに行かないで!』と頼んだ日◎





2019年4月11日、性暴力に抗議するデモが始まりました。



『性暴力に屈しない』『声をあげて抗議する』



その象徴として、各自花を持ってデモをする事から『フラワーデモ』と呼ばれるようになったそうです。



実はウチのママンは女性団体の職員で、結構色々な役職にも就いています。



もちろんママン達の所属する団体も、デモに参加する予定で準備をしていました。







それを止めたのが私です。






私『お願いだからフラワーデモに行かないで!』





ママンは黙って頷き、参加者に『急用が出来た』と言って行きませんでした。





私が何故フラワーデモに拒否反応を示したのか、実は今でもハッキリとは分かりません。



ただ、身内であるママンが参加する事によって





自分が受けた性被害を認めてしまう事が怖かったのかも知れません。





この20年間、私の心は色々な方向に傾いていました。







『犯人を殺してやる』


『私が死ねばいい』


『大学関係者みんな死ねばいい』


『大学の前で自殺してやる』


『この事を許せない私は悪魔だ』


『許す心を持たなければ幸せになれない』


『許さないと悪い事を引き寄せる』


『忘れる方法を真剣に考えなければ』


『過去に戻る方法は無いか』


『やっぱり私が死ねばいいんだ』


『いや、やっぱりアイツが死ねばいい』


『この事件を後世に残すのが私の役目だ』


『私も声を上げなければ。被害者なんだから』


『でも、そうしたら認めた事になる』


『認めるも何も事実なんだから』


『あの人たちは顔出しして訴えて立派だ』


『なのに私ときたら恨み節ばかり』


『私も訴えたらどうか』


『ダメだ、訴えたら我が家が壊れる』







と、こんな事を常にぐるぐると考えていました。




そんな中始まったフラワーデモ。



実際に被害に遭った人、そうじゃない人も手を取り合って性被害根絶を訴える。














悔しかった。






彼女(彼ら)のしている事は立派だ。







立派だから、悔しい。








私は、手を取り合って花を持って声を上げられる程強くない。



お互いに根絶を訴える力も体力も精神力もない。









要するに、私は無力な上に自分勝手なんだ。







自分の被害でいっぱいいっぱい過ぎて、他の人の事まで考えられないんだ。






それを認めたくないから、ママンを道連れにしたんだ。






最低だ。






そう思った。








あれから5年。私の中で何かが変わった。




多分、余命宣告されたからだと思う。




自分の残り時間を知ってから、ようやく性被害を俯瞰して見る事が出来るようになった。



ただ、私は自分勝手な人間だから、まずは犯人をどうにかしたいんだ。自分の手で。



そこで思いついたのが『仇討ち』だったんだ。






20年の年月は無駄ではなかった。




『アイツを殺す』『自分も死ぬ』



なんて、無謀な事は考えなくなった。




悪知恵がついた⋯とでも言おうか、それとも賢くなったのだろうか。



まあ、どっちでもいい。



決心してからの自分の行動は、生きてきた中でも上位に入るくらい凄いものだったんだから、少しは自分を褒めても良いのかも。




フラワーデモに関しての見方も変わった。




悔しい気持ちから




『みんな、頑張れ!私も頑張る』



に変化した。





ただ一緒にやれるかと聞かれたら、今でも出来ない。





性犯罪の種類はそれぞれで、被害者の思いもそれぞれだ。




一緒になって闘いたい人もいれば、放っておいて欲しい人もいるだろう。




また、私みたいに『仇討ち』などを考える奇特な人もいる。(かもしれん。)








多分、どれも正解。






今年もママンはフラワーデモに参加しなかった。





5年前と今のママンの気持ちにどういう変化があったのかは分からないが、一度





マ『皆が皆、同じ方向を向かなくてもいい。気持ちがあれば大丈夫』





と言ってくれた事がある。





このママンの言葉も、今日の私を作ってくれている。



私が出来る事は










許さない事。






そして全ての加害者に『いつか被害者が仇討ちに来るかもしれないからな、首洗って待っとけ』









と、このブログを通して喚き散らす事かな?多分ね。










続く。