決定版・英祖 (ヨンジョ)【改訂版】④ | 咲くやこの花のキラキラパラダイス

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庶民目線の国王

英祖というと、長く白いひげを生やしたおじいさんの姿が思い浮かぶが、これは今に伝わる英祖の肖像画が白ひげの老人であることや、ドラマ「イ・サン」でイ・スンジェが演じた英祖の強いこと、そして実際に英祖が83歳まで生きた朝鮮史上最長寿王であるためであろう。長寿と同時に51年7カ月という最長在位記録まで持つ英祖。半世紀にわたる治世の中で彼は多くのことを成し遂げたが、それらに一貫して感じられるのが " 民の視線 ” である。

英祖一番の業績として挙げられる「均役法」  (1750年)  は、庶民が収める綿布  (国防義務の代わりに収める税)    を2~3布から1布に減らすもので、これより庶民の軍役負担は大幅に減った。不足分は王室や国家機関の財源を当てたり、これまで軍役を負担していなかった富裕層に負担させたりして補った。こうした方法は肅宗時代にも模索されたが、両班の激しい抵抗に遭って挫折し、英祖は父の意志を引き継ぎ、断固たる態度でこれを実現したのだ。

罪人に対する過酷な刑罰の禁止にも力を注ぎ、膝の上に重い石を置いて脚を押しつぶす「圧膝刑」、額に罪名を入れる「刺字刑」、焼きごてを当てる「烙刑」などを廃止した。また、冤罪を防ぐため死刑囚には必ず初審、再審、三審を受けさせる「三審法」の徹底、庶民が自身の無実を訴える「申聞鼓」の復活、庶子  (ショジャ/母が正妻でなく平民の場合)  と孼子  (オルチャ/母が賤民の場合)  、そしてその子孫の官吏登用を禁止する「庶孼  (ソオル)  禁錮法」の緩和なども実施した。

英祖は幼い頃、10年ほど宮殿の外で暮らしたことがあり、そのときに庶民の暮らしを目の当たりにしたことが、こうした庶民目線の施策につながったと言われている。もちろん、使用人出身の母親の影響も少なくないだろう。英祖は民と触れ合う場をしばしば設け、多いときは5千人もの民衆を集めて直接話を聞いた。また、本来、嫁入りした娘の家を訪ねることができないが、英祖は臣下たちの制止にもかかわらず、しばしば娘の私邸を訪ねた。古い服を着ていても一向に気にせず、私家で暮らした経験を誇りに思っていたという。

83歳になるまで王位を手放すことなく王権に強い執着を持ち、よく泣き、よく怒り、宮殿に閉じこもることなく民との触れ合いも大切にした英祖。学問を好むが決して成人タイプではなく、非常に人間くさい魅力を持った王だったようだ。


 


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