続・召西奴 (ソソノ) 【改訂版】② | 咲くやこの花のキラキラパラダイス

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昨日の①に引き続きます。
ソソノはチュモンと別れ南へと下ります。そして、成長した実子・ピリュとオンジョがそれぞれ国を建てますが、兄弟間の争い、骨肉の争いに巻き込まれます。


■ 新国家・百済の建国。
BC19年9月、ソソノは政略の犠牲者となり無念な思いを抱きながら、自分の故郷である卒本扶余の土地を去る。ピリュとオンジョ二人とオガン、マリョ、ウルム、ヘル、ホルなど十人の家臣とその一族、そして自身の部族である桂婁部の多くの民を従えて出て行ったという記録があることから、ソソノは先天的な統率力と統治能力の高さが伺える。当時ソソノは48歳で、ピリュとオンジョはそれぞれ30歳と25歳であったことが、歴史書を通してわかる。高句麗を離れた後、ソソノ一行には苦難の行軍が続いた。南下し、千辛万苦の末に新しい国を建てるが、ウテとチュモンという二人の男性との結婚にうまくいかなかった哀れな女性の悲劇はさらに続く。百済の建国初期には、ピリュ王の彌鄒忽  (ミチュホル)  とオンジョ王の慰礼城  (ウィレソン)  とに国が別れ、兄弟間の争いが耐えなかった。母親としてのソソノは、ピリュとオンジョの激しい争いを止めようとする。そして不和の原因を、オンジョの強硬派の家臣によるもの(* 'ᵕ' )☆突き止める。オンジョの重臣オガンとマリョが、兄弟間を裂いていると考えたソソノは、諸悪の根源である家臣の暗殺を計画する。

■ ソソノ死。
波乱万丈の人生を過ごしたソソノは、悲惨な最期を遂げる。ソソノに従う五人の将軍と共に、二人の仲を引き裂く家来  (オガンとマリョ)  を粛清するために王都へ入るが、暗殺を察知していた察知していた彼らによって逆に殺される。韓民族初の女傑で百済の国母であるソソノの死を示畯する記録が、〈 三国史記-百済本記温祚13年〉にこう書かれている。
「王都から、老婆が鶏に身を変え5匹の虎が入城したが、61歳の王母は死んだ。(春二月 王都老女  化爲男  五虎入城  王母薨   年六十一歳)」
ソソノの死後、二人の兄弟の仲はさらに悪化し、戦いの末に弟のオンジョが勝利する。歴史の中では、高句麗建国の功績はチュモンに、百済建国の功績はオンジョに授けている。古代韓国史で大きな存在感を示した女性を徹底的に排除した男性中心的な歴史観によって、彼女の名前は歴史書から徐々に消え、今ではその片鱗しか残っていないが、〈三国史記〉に彼女の名前が載り歴史の中に登場するという事実こそが、彼女の多大なる活躍を物語っている。

■ 女傑ソソノの足跡。
ソソノには、男性中心社会の中で女性として生まれ、未亡人であるという弱点こそはあったが、彼女は多くの部下を従え、男性よりも度胸があり人徳を備えていた。また何事においても、一度始めたら神の助けを得ながら成功裏に事を成し遂げる幸運の持ち主でもあった。烈女の如く勇猛な性格で、万事に対してチャレンジ精神が旺盛で、未来を切り開くことに熱心であった。彼女に従う武士たちも歴戦の猛者であり、精鋭部隊であった。
ソソノは栄華と権力をほしいままにした見えるが、心のうちでは寂しさも抱えていた。早くに夫のウテを亡くして未亡人となり、女手一つで息子二人を育て上げ、チュモンと運命の恋に落ちるが、その後離別する。その後も再び人生を切り開いていくが、息子たちの争いを経験しするなど、波乱万丈だった生涯は悲劇で終わりを遂げる。女性を排除してきた歴史の流れは、歴史書の中でも、彼女に関しての記録はほんのわずかである。
ドラマでは、強靭なソソノのライフヒストリーに迫る。チュモンとオンジョ、ピリュを帝王の地位に就かせ、二度も建国の偉業を成し遂げた女性など古今東西どこを探しても存在しない。女性でありながら人並はずれた気概と知恵を持つソソノの人生は、私たちの記憶の中で永遠に花咲き続けることだろう。
なぜこれほどにも偉大な女性を、私たちはこれまで見過ごしていたのか。歴史教育の問題も去ることながら、多くの戦乱の中で歴史の記録が失われたためだ。ソソノの足取りについては、〈三国史記-百済本記温祚王朝〉において、数行発見できる程度だ。


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