#秋月恵美子 と #芦原千津子 OSK日本歌劇団の大スター達
— 北のカナリア (@kita_no_kanaria) 2020年9月10日
ソ連のツアー中
サンクト・ペテルブルク、1965年
(多分、マリインスキー劇場の前)#osk日本歌劇団 #osk元スター #大先輩 pic.twitter.com/TLv4v4Nuz5
千羽鶴の舞|日輪の人・秋月恵美子
六月、梅雨の晴れ間をぬって久しぶりに秋月恵美子さんのお墓参りをした。
地下鉄日本橋で下車した私は、黒門市場の花店に寄り花を買う。そこでは下寺町に近い関係で黙って歩いてもろうそくと線香を付けてくれる。そして東に歩いて五、六分。
この道はこれまでは舞台衣装の仮縫いに行く道で、奇しくもその「大谷衣裳」さんの道路をはさんだ向かい側の浄国寺に秋月恵美子さんが眠っておられる。
きれいにまわりを清掃された中、昨年の今ごろには無かった新しい石碑に、暑い日差しの中、ひとりで合掌した。
OSK日本歌劇団の解散から激動の一年が過ぎ、それぞれが新しい道を歩き始めたがその代表がOSK日本歌劇団存続の会 (現在はNew OSK) であり、また季刊誌「熱烈歌劇」主催の那月峻らの公演や、大阪道頓堀に新しくできたテーマパーク「サミー戎プラザ」での芝居出演などで、そのほとんどが秋月恵美子さんから舞台に関する手ほどき受けているというのはすごいことだと思うのである。
私たちの入った時にはすでに大スターで雲の上の人、声を掛けていただくことさえも叶わなかったくらいだったが、いつしか自然に関わりができ、『楊貴妃』尼崎公演で玄宗皇帝の第一夫人の梅妃を私が演じた時には、自害するシーンを何度もご指導いただき非常に光栄に思った。また海外公演や歌舞伎座での特別公演でも何かとお世話になり、そのアドバイスは神の声のようで、それでいて気安く相談もできた。
ずっと昔、世を儚んだひとりの少女が、この世の見納めにと入った大劇で、公演していた秋月さんの舞台を見て魂を強く動かされ自殺を思いとどまり、以来舞台を見続けて秋月さんが亡くなるまでの六十余年交流が途絶えることはなかった⋯⋯その人ももう八十代である。
浄国寺の墓地には西鶴の「夕霧」の墓もあり、うっそうと茂った葦の葉の中でひっそりと佇んでいた。秋月恵美子さんの碑はその三つ西隣にある。
親族にはご縁の薄かった秋月さんではあったが、近しい知人か建立した石碑には次のように刻んである。
慈愛に満ちた
千羽鶴の舞
華やかなる麗人
タップダンスの響き
元OSK
トップスター
懐かしの舞台
とともに
永遠に
銀幕の中へ
平成十四年八月十六日
秋月さんは、私たち一人ひとりの行く末をきっと見守っていて下さるに違いないと固く信じ、傾く日差しの中、帰路についた。合掌
こちらにも、当時のトップスター東雲あきらとの対談が掲載されている。