令和4年(2022年)1月17日、兵庫県宝塚市にて。
あの出来事を風化させてはいけないのです。
犠牲者の皆様のご冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。
時の流れは早いもので、アノ未曾有の災害となった阪神・淡路大震災が起こってから丸27年を迎えました。
1日遅れになりましたが、やはり書かずにはいられなくなりました。私の住む地域は警報は発令されていないものの雪が降っています。そう言えばアノ日も寒かった。
まだ人が起きるか起きないか、お布団が恋しい真冬の未明に発生した下から上へ突き上げるような『都市型直下地震』に人は成す術ももなく、立ちすくんでいるだけでした。やがて火が上がり、さらに燃え盛り、人は襲いかかる炎から逃れる事しか出来ませんでした。そして大勢の尊い命が奪われたのです。
あれから27年の歳月が流れても、この大震災が街に及ぼした影響は甚大で、計り知れないものがある。今はただ、犠牲者の皆様のご冥福をお祈り申し上げるとともに、二度と再びこのような天災や災害が起きない、起こらないようにと祈らずにはいられない(悲しいかな世界中で起こり続けているのが現実である)。
最後に個人的思い出を。
あの頃、滋賀県に住んでいた私は(今、この記事を書いている現在もだが)大震災の起こった朝、出勤早々、会社の構内でガスと水道の管が破裂していたのを発見。業者に連絡したもののまったく繋がらず。運送業だったので荷物を積んだトラックが現地に到着せず、運転手や荷受け先である業者やに連絡を取ろうとしたがこちらもまったく電話が繋がらない。特に神戸方面へ向かう便が多数あった日だったので、配車を担当した私は責任を感じていた。まだまだ固定電話が中心、それを子機数台で連絡を取り合っていた時代であった。もしアノ日、今のように携帯電話があったら、普及していたらと思うのである。
■ こんな事もありました!
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■ 拙宅ブログより。