図画署(トファソ)【改訂版】。 | 咲くやこの花のキラキラパラダイス

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さて前述ではドラマ『イ・サン』について語りましたが、ヒロインであるソンヨンが勤めていたのがこの部署。
図画署(トファソ)とは、宮中の画事全般を司る役所で、宮殿の装飾や壁画、国王や高官の肖像画などを作成する部署です。

宮中の色んな行事の記録、また時には朝鮮通信使の一行に加わり日本を訪れ、記録係として、その見聞を絵に描いていたした。また国王や官僚が身に着ける装束
のデザインも担当、絵皿の絵付けなども担当していたそうです。現代の様にカメラやビデオ機器等もなく、写真や動画・複写などの技術がなかった時代に様々な記録を絵画にして残しています、李氏朝鮮の王朝時代から現在に至るまで後世に残る貴重な記録を残しています。

朝鮮王朝の第22代国王である正祖(チョンジョ)とその時代を描いたドラマ『イ・サン』や『風の絵師』では重要な舞台として登場しています。

では図画署はどこにあったのか!?   
下記の地図の地図にてご確認下さいませ。他所様からお借りした漢城府(ハンソンプ / 現在のソウル特別市)の宮殿の近くにあった様です。



ソウル市内に残る図画署(トファソ)跡地を示す碑文。


この部署は宮廷の行事や突発的な出来事などにも対処出来るように、宮中の近く設置されていた。

さらに調べて行くとこの様な記録も残っていました。


■ 図画署(トファソ)とは?
絵に関する業務を扱った機関で、王や功臣の肖像画、王室の行事の記録画、屏風絵、地図、刊行物の挿し絵など、職務は多岐に渡った。
1474年に編さんされた『経国大典(キョングクテジョン)』によれば、管理職3名をはじめ、画員が20名、生徒が15名、雑務を行う下人が10名程所属した

絵に関する業務が増えると、英祖(ヨンジョ)代に生徒が30名、正祖(チョンジョ)代には画員が30名に増員された。生徒は図画署(トファソ)で1年学んだ後、試験に合格すると画員になることが出来た。さらに、画員は試験で格付けが行われ、上位者には輪郭を描く善画(ソンファ)、彩色する善繪(ソンフェ)といった官職が与えられた。

図画署(トファソ)を管轄するのは儀式・外交・教育等を担当する礼曹(イェジョ)の長である礼曹判書(イェジョパンソ)が兼任していたが、実質的な責任者は絵に詳しい両班(ヤンバン)出身で従六品(チョンユクプム)という身分の別提(ピョルチャン)が署長を務めていた。


経国大典


 

図画署(トファソ)の歴史は古く、高麗(コリョ)時代に置かれていた図画院(トファウォン)を踏襲し、朝鮮王朝時代に院内の構造改革が行われ、名称も図画署(トファソ)に変更された。

図画署(トファソ)の画員は試験によって採用されましたが、朝鮮王朝時代後期になると勢力のある高官などの後押しで(コネなどか?)採用されるようになり、画員職は次第に世襲されるようになる。









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