アンドレアとピエール、カシラギブラザーズ ③ | 咲くやこの花のキラキラパラダイス

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関西のおばちゃんが書いているどうでもいいブログです(笑)

● 経歴(Wikipediaより引用)。


















● アンドレアとピエール(シャルロットも)の父・故ステファノ・カシラギ(カロリーヌ公女の2番目の夫)。









カロリーヌ公女は両親(特に母親のグレース公妃)の反対を押し切り、1978に17歳も年上のフランス人の銀行家フィリップ・ジュノーと結婚。夫の浮気に愛想を尽かして1980に離婚。




※ ジュノーは公女との結婚数ヶ月後に他の女性と一緒にいる所をスクープされたそうです。公女との結婚前からもかなりのプレイボーイとして有名だったようです。



1983年12月29日、カロリーヌ公女はイタリア人の実業家であるステファノ・カシラギと再婚。モナコ宮殿『鏡の間』で民事婚を挙げます。前夫と離婚したもののローマ・カトリック教会がそれを正式に認めなかったからです。婚姻無効が認めれないままでは教会では式が挙げられないので、彼らは民事婚を選択したのでしょう。

すでに妊娠3か月だったため夫妻は待ちたくはありませんでしたが、今度は新婦の父である故レーニエ3世公が新しい義理の息子の素性を怪しみ、マスコミもカロリーヌの単なるおもちゃ
であるとして『Carolino』と呼んだ。





長男アンドレア。




長女シャルロット。











次男ピエール。





民事婚から7年、1990年にステファノ・カシラギがモナコ沖フェラ岬近くの海上で開かれたボートレース中に起こった事故のため30歳という若さで亡くなりカロリーヌ公女は未亡人に。

1992年6月ようやく教会(モナコはローマ・カトリックが国教)から前夫フィリップ・ジュノーとの婚姻が無効と認められ、1993年2月にローマ教皇ヨハネ・パウロ2世より故ステファノ・カシラギとの婚姻が正式に認められます。







葬儀の日のカロリーヌ公女と彼女の父であるモナコ公国の故レーニエ3世公。






最愛の父がわずか6歳の時に突然の事故で亡くなってしまったアンドレアは、父の死か相当ショックだったらしく、心理療法士などのケアやカウンセリングを受けていたそうです。








故ステファノ・カシラギの事故死当日の写真(Wikipedia英語版より)。






故ステファノ・カシラギは、1990年10月3日にモナコ沖にあるフェラ岬(カップ・フェラ)近くで行われたオフショア・パワーボートレース中に起きた事故で30歳の若さでなくなりました。

当時レースコース付近には3~4フィートの波があり、カシラギの乗った42フィートの船体が反転しました。

時速150㎞、完全な天蓋がなく、事故を検証した専門家は『船にそのような天蓋が装備されていれば彼が生存していた可能性は高かった』と述べている。



※ 1フィート=30. 48cm、12インチで計算して下さい。












尚、カロリーヌ公女と故ステファノ・カシラギ(一般人)の子どもであるアンドレア&ピエール、そしてシャルロットはモナコ公国の公位継承権を保持しているが、3人の子ども達には普通に育てたいという両親の意向により公子・公女の身位・爵位などは保持していない。

また故グレース公妃譲りの美貌ゆえに国内外から人気があり、タブロイド誌の格好の餌食になるなど注目を浴びている。



ただしカロリーヌ公女の現在の夫エルンスト・アウグスト5世との間に生まれたアレクサンドラだけはかつて存在したハノーファー王国の子孫であり王女の称号を持つ。