私が『鼓ヶ滝』という落語を最後に聞いたのは先月末のことだった。この落語は、若かりし頃の西行法師が「鼓ヶ滝」という景勝地に来て詠んだ歌を和歌三神(住吉明神・人丸明神・玉津島明神)の化身が以下の通り手直しし、法師はそれをありがたく(謙虚に)受け取ったという噺である。

〔西行の元歌〕
伝え聞く鼓ヶ滝へ来て見れば
沢辺に咲きしたんぽぽの花


〔住吉明神の直し〕
音に聞く鼓ヶ滝へ来て見れば
沢辺に咲きしたんぽぽの花


〔人丸明神の直し〕
音に聞く鼓ヶ滝を打ち見れば
沢辺に咲きしたんぽぽの花


〔玉津島明神〕
音に聞く鼓ヶ滝を打ち見れば
川辺に咲きしたんぽぽの花

手直しは「鼓」だから「音」であり、「打つ」とした。また、「鼓」の「皮」を「川」に掛けた。その鼓ヶ滝は有馬温泉を下ったところにある(神戸市北区有馬町)。



私が最近聞いた『鼓ヶ滝』の舞台は有馬温泉の鼓ヶ滝だったが、噺家によっては川西市多田にあった鼓ヶ滝を舞台とする。「多田にあった」と過去形にしているのは今はないからだが、いつ・なぜ滝がなくなったのかは不明。枯れてしまったという話や、日本では古来急流を滝と呼んでいたから猪名川(いながわ)の狭まった部分を指すのではないかなど諸説ある。今は廃線になった能勢電鉄の妙見線には「鼓滝駅」があった。今でもその駅があった所から猪名川に行く途中に「音に聞く鼓ヶ滝を...」の石碑もあるそうだ。



落語の『鼓ヶ滝』の元になったのは講談の『鼓ヶ滝』だが、講談も川西市多田にあった鼓ヶ滝を舞台としている。また、川西市に伝わる民話でも、今から880年近く前に和歌の道を志した西行法師が辿り着いたのが川西の鼓ヶ滝としているとのこと(民話が落語や講談と違うのは、歌の最後の部分が "たんぽぽの花" ではなく、"白百合の花" となっていること)。

室町時代の臨済宗の僧・季瓊真蘂(きけい しんずい)による「蔭涼軒日録(いんりょうけんにちろく)という日記には「有馬には鼓の滝が二つあり、西行法師が歌を詠んだ鼓の滝は『多田之鼓瀑』を指す」と書いてあるそうだ。当時、有馬温泉の鼓ヶ滝と川西市多田の鼓ヶ滝とがあり、西行法師が歌を詠んだのは後者の鼓ヶ滝だ。

こうして見ると、講談や落語できた当時は何となく川西の滝の方の人気が高かった感じはする。有馬温泉の存在が知られるようになったのは第34代舒明天皇(593〜641年)の頃からで、江戸時代前までの約千年の間に衰退と繁栄を繰り返し、江戸時代以降はずっと繁栄している(以下のURL)。

https://www.arima-onsen.com/about/history/

しかし、川西の鼓ヶ滝は栄枯盛衰が全く分からないので、両者の衰退と繁栄の周期を重ね合わすことができない。

落語『鼓ヶ滝』の元ネタは講談と言ったが、講談の『鼓ヶ滝』のルーツは能楽の『鼓滝』だそうだ。ストーリーは、山中で帝の臣下に道を尋ねられた山賤の翁(実は滝祭神)が「津の国の鼓の滝をうちみればただ山川のなるにぞありける」を口にするが、「和歌にも詠まれた名所だから、教養ある都人のあなたのほうが山賤の私よりよく知っているだろう」とやり返すのだそうだ。

この能楽の作者は不詳だが、15世紀頃には完成していたと言われる。「津の国の鼓の滝をうちみれば...」の歌の元となったのは、平安時代の『拾遺和歌集』などに収録されている「おとにきくつづみのたきをうち見ればただ山河のなるにぞ有りける」という歌だそうだ。その「つづみのたき」は "肥後国"(熊本市)の鼓ヶ滝だと言われる。



室町時代の能楽では、平安時代に "肥後国" だった鼓ヶ滝から "津の国"(摂津国)の鼓ヶ滝に変わっている。能『鼓滝』の Wikipedia(以下のURL)ではその理由を「中世(室町時代)に有馬が湯治場として人気になったから」と説明している。つまり、有馬温泉の鼓ヶ滝のことだ。

https://www.weblio.jp/content/%E8%83%BD%E3%80%8C%E9%BC%93%E6%BB%9D%E3%80%8D


以上を纏めると鼓ヶ滝の場所は次の通りとなる。

▪平安時代:『拾遺和歌集』→ 肥後鼓ヶ滝。
▪室町時代:能『鼓滝』→ 有馬鼓ヶ滝 。
▪江戸時代:講談『鼓ヶ滝』→ 川西鼓ヶ滝。
▪江戸時代:落語『鼓ヶ滝』→ 川西鼓ヶ滝もしくは有馬鼓ヶ滝。

まあ所詮はフィクション。どれがどの鼓ヶ滝だろうがどうと言うことはないが、ある種の感慨を覚えるのは、1000年代初頭(平安時代)にできた歌「おとにきくつづみのたきをうち見ればただ山河のなるにぞ有りける」が、変遷を経て一千年後の今日でも能、講談、落語の中に息づいていること。正に『伝統』である。

伝統というものは、和歌のような文学に限らず、美観、宗教観、世界観など日本あるいは日本人が持っているあらゆるものにある。これこそが『日本文化遺産』であり、本居宣長が歌った『朝日ににほふ山ざくら花』の中身であろう。私は日本はいかなる国かと(特に外国人から)問われたとき、次のように答えることにしている。


▪日本とは伝統と近代化の融合である。

▪Japan is a fusion of tradition and modernisation.

▪Le Japon est une fusion de tradition et de modernisation.


日本の伝統は、日本が一度も異民族に支配されたことがないという幸運と先人たちの努力があってこそ続いている。言い換えれば安全が保たれたということだが、戦後79年この意識が稀薄になっている。

話が横道に逸れたが、もうひとつ「鼓ヶ滝」という名称に関すること。由来は滝の水が滝壺に落ちるときにポン!ポン!と鼓のような音がするからだが、その音はいかにも軽い。ということは、この滝の落差はそう大きくないということだ。もし数十メートルから百メートルを越える落差なら、オノマトペは「ドォー」のような重い感じのものになる。そう言うのは、私の田舎にある「常清滝」(以下の写真)は落差が126メートルあるので、子どものときから「滝というのはそういう高さがあるものだ」という観念が私の中に出来上がっているからである。



なので、数メートルから20メートル程度の滝のところに来ると、いつも内心では「これが滝?」とか「この程度の滝か」と思ってしまうのである。