今日は故・安倍総理の三回忌故、「花は咲く」でも聞きながら静かに、ありし日の故人を偲び、故人の足跡を称えたい。


BG:花は咲く
https://youtu.be/J0yu-AeKZMk?si=Hq3z7pjU6vJ_wRTm

だが、なかなか静かにとは行かない。安倍総理亡き後の岸田総理は、安倍元総理が築いた自由主義国家の戦略基盤 "FOIP" の上で順調に外交を進めて来た。また内政においても、防衛三文書策定(防衛予算倍増を含む)、反撃能力保有の容認、福島原発処理水放出の断行、原発への積極的関与などを処理した。「おっ、安保政策に鈍なる宏池会の人でもやるじゃないか!」と思わせた。また、高市経済安保大臣が担当したことが奏功したのだろうが、今年6月にはセキュリティクリアランス法の制定に漕ぎつけた。

だが、昨年あたりから "安倍慣性" が切れてきた。例えば、安倍が生きていたら絶対あり得ない「LGBT理解増進法」などという社会秩序を混乱させる法律を昨年6月に成立させてしまった。既に混乱ぶりがちらほら発生している。憲法改正については「ヤルヤル詐欺」だ。更に、防衛三文書の論理的延長線上には "核議論" があって然るべきだが、早々と核論議を封印してしまった。

ここで誤解を避けるために言うが、「核議論、即日本の核武装ではない」。実際に核武装しなくとも、"核議論" そのものが有効な抑止力なのだ。また、『日本は米国の核の傘の下のある紛れもない現実」があるのだから、非核三原則のうち「持ち込まず」は論理矛盾である。更に言えば、日本を取り巻く現実から言うと、"ベルギー・オランダ・ドイツ方式"(※)の可能性を検討するのも意味がある。

(※)ベルギー・オランダ・ドイツ方式:これらの国自身は核兵器を所有していないが、米国との核共有合意の一環として自国内に米国の核兵器を配備しており、核兵器を使用する場合は、これらの国々のパイロットが自国の航空機を用いて行うことになっている。そのための訓練もしている。

また、国家の根幹というべき皇位の件。先々月、「安定的な皇位継承のあり方」について衆参議長と各党代表者らとの協議が始まり、額賀衆議院議長は「可能なかぎり今の国会の会期中に立法府としての総意をまとめたい」という考えを示した。だがその後、纏まったという話を聞かない。これも「ヤルヤル詐欺」っぽい。

政策とは別の党運営の面でも安倍慣性がなくなった。安倍が初めて派閥領袖に就任したとき、資金の不透明な分配(パー券の裏金化)を止めさせたのに、安倍が凶弾に倒れるや否や、お膝元の安倍派幹部はこれを復活させた。また、統一協会問題では多額献金被害者の救済への取り組みを始め、統一協会の解散請求までは来たが(実際に裁判所の解散命令が出るまでは相当時間が掛かりそう)、問題の核心と思われる「宗教団体と政治の関わりのあるべき姿」(創価学会と公明党の関係も参考にすべき)についての議論はされた形跡はなく、政治家の逃げの姿勢ばかりが目についてしまう。

結局の処、安倍慣性が効かなくなって漂流しているのは、①国内外の現実に対応するための羅針盤と言うべき「歴史と価値観に基づく国家観」が欠如しており、②目先の綻びを繕い火の粉を払おうとするばかりで問題の本質・核心を突かず、国民の不安・不満にズバリ応えていなからだ。

①に関して言えば、原理原則に固執すれば原理主義に陥って現実に対応できないし、原理原則なしに現実に対応すれば漂流してしまうので、原理原則と現実の調和が重要。安倍総理が尊敬した吉田松陰は、攘夷の主張と西洋との交流、つまり攘夷と開国は矛盾しないという柔軟な考えを持っていたそうだ。

②については、かつての田中角栄は「自民党なんて潰れたって日本が潰れなければいいんです」と言い、小泉純一郎は「今こそ本当に『自民党をぶっ壊す』時である」と言って構造改革を進めた。国民が喝采したのはこの「国民目線と迫力」なのである。

然らば「岸田は退陣せよ」と言うかだが、ポスト岸田として世論調査の上位に挙がる名前を見ると「岸田より良いのかねえ」と思い、口ごもってしまうのである。