昔はお年玉付き年賀はがき抽選会をテレビで実況放送していたような気がするが、あれは人気がなくなったから止めたのだろうか。否、テレビ放送云々の前に、抽選会そのものが行われたというのも最近は聞いた気がしない。だが先日、今年は1月17日に丸の内のJPタワーで抽選会が実施されたというニュースがネットにあったから、ここ2~3年は武漢コロナのせいで開催を控えていただけだろう。



年賀状のお年玉は、子どもの頃は特賞のグローブやカメラが当たらないかとワクワクしたものだが、大人になってからは「どーせ、切手シートよ」と諦観するようになった。切手シートは毎年3~4枚は当たったものだが、今年は僅か1枚。私の最低新記録だ。1枚の切手シートでも貰えるものは貰うつもりではあるが、実際のところは貰っても殆ど手紙を書くことがないから切手は貯まる一方である。現在の封書の切手代は84円だから84円切手になっているが、机の引き出しには60円切手や80円切手がたくさん残っている。たくさんの切手は金銭ショップ現金と交換できるのだろうか。

今年切手シートが1枚しか当たらなかったのは運もあっただろうが、2000年代半ばから年賀状は出すのも貰うのも次第に減って来ていることもある。調べてみると、日本全体で年賀状の発行枚数が最大だったのは2004年で、今年はピーク年の僅か32%だったそうだ。更に調べてみると、年賀状は平安時代の貴族が年始の挨拶の手紙を送ったのが始まりで、江戸時代になると飛脚が発達し字の読み書きができる者も増えたので、年賀状を送る庶民も出て来た。そして、明治に郵便制度ができると、今日のように葉書で年始の挨拶(年賀状)を送るようになった。歴史的スパンで言えば、年賀状は1000年掛かって2004年にピークに達したのであった。

西洋で年賀状に相当するのはクリスマスカードだが、その起源は英国のある美術館館長がカード1000枚を作成し販売した1843年というから僅か181年の歴史である。それに対して1000年の歴史を誇る日本の年賀状は2005年に反転し、急速に減ってきている。

予見できる将来にゼロになることはないとしても、まだまだ減るのは間違いない。年始の挨拶そのものが廃れている部分もあるかも知れないが、ネットに置き換わってきた。

その背景を思い出してみると、日本では反転の2005年辺りにブロードバンド・サービスが普及した。その前から女子高生たちは携帯電話で「"あけおめ" 年賀状」を送ったりしていたが、2005年辺りから従来の携帯電話に代わるスマフォが流行り始め、スマフォではカラーの写真や図を送ることができるので、ネットへの置き換わりに拍車が掛かった。

ネットへの置き換わりには2つのパターンがある。ひとつは、年賀葉書がメール、SNS、メッセンジャーによる電子年賀に直接的に代わるパターンである。もうひとつは、携帯電話やメール、SNS、メッセンジャーなどでリアルタイムで日々連絡し合っているので、あらためて「おめでとうございます。本年もよろしく」などという儀礼を交わす必要がなくなったという間接的置き換わりである。

ネットへの置き換わりは単に年賀状というよりも郵便全体を食っている。日本郵政は今年の秋から、葉書は63円→85円に、封書は84円→110円に値上げするようだ(これまでの切手を利用するためには1円、5円、10円などの切手ペタペタ貼らなければならない)。値上げは郵便の需要が減って日本郵政社が赤字になるか、なったからだろうが、現状のままだと「赤字→値上げ→需要減→赤字」のサイクルを繰り返すだけだ。それでは知恵がない。

郵政社は早急にビジネスモデルを再構築しなければならない。彼らの最大の "資産" は「全国津々浦々の各戸を捕捉していること」だ。郵便から離れ、各生活者を便利に豊かにするため、あるいは安全に暮らしていくため郵政社の資産をどう利用できるかを、郵便従事者だけでなく異業種の人や消費者と一緒にブレインストーミングすれば、アイデアのひとつはふたつは出ると思うのだが、そういう努力はしているのだろうか。