先日、江戸東京博物館小ホールで開催された「圓朝を聞く会」では、以下4つの圓朝作品が演じられた。このうち、「縁切榎」は初めて聞く演目だった。



「縁切榎」のあらすじ:若旦那は芸者と堅気の娘の両手に花なのだが、どちらか一方に絞りたい。一方に別れ話をしようとしたが上手く行かず、それならもう一方と別れようとしたが話を切り出せない。仕方がないので、縁切榎の力を頼ろうとして板橋宿に行くと、そこで当の娘達と出くわした。そして分かったことは、実は芸者と堅気の娘のどちらも若旦那を嫌っていたという落ち。



私は「榎切榎」と呼ばれる榎のことも知らなかった。それは江戸時代の板橋宿にあった木だが(今でも板橋区本町にある)、樹皮を削り、煎じて相手に飲ませると、飲んだ相手との縁を切ることができるとされた。現代の木は三代目で、「榎大六天神」(えのきだいろくてんじん)と呼ばれる神社というよりも祠の前にある。

私は「縁切り」の言葉から四谷左門町(今日の新宿区左門町)にある「縁切寺」のことを思い出した。それは「陽運寺」という小さな日蓮宗のお寺である。そこのご利益を調べてみると、正確には「悪縁を絶ち切り良縁をもたらす」だから、「悪縁を絶ち切り」に着目すると縁切寺になるが、「良縁をもたらす」の部分を取り出せば縁結びの寺となる。写真は、一昨年の1月にそのお寺を訪れたときに撮ったものである。30代と覚しき女性が一生懸命拝んでいた。夫との縁を切り、良縁に巡り会いますようにと拝んでいたのだろうか。


 

以下の写真は陽運寺の山門だが、左右に「於岩稲荷」と書いた提灯がぶら下がっている。そう、ここは四谷怪談で有名な「お岩(於岩)さん」ゆかりのお寺なのだ。



江戸時代の始め、このお寺から10メートルくらい離れた所に田宮又左衛門という徳川家の御家人が住んでいた。又左衛門の一人娘が「お岩」だったのだ。婿養子の夫・伊右衛門とは人もうらやむ仲の良い夫婦で、終生円満に暮らした評判のいい女性だった。そういうお岩の霊堂(於岩稲荷)が、今の陽運寺の地にあった。しかし、戦災に合ったので、戦後間もない頃に栃木県沼和田から薬師堂を移築再建し陽運寺が開山された。本堂にはお岩の木像が安置され、境内にはお岩ゆかりの井戸もある。尚、お岩の実家の庭にあり、お岩が熱心にお参りをしていた祠は於岩稲荷田宮神社になり、今日でも宮司は田宮家である。現在は第16代目だったか。

四谷怪談のお岩は、夫婦円満だった実在のお岩とは随分違う。それは、お岩が亡くなって約190年後、鶴屋南北という歌舞伎狂言作家が「お岩」の名を借りて創作した全くのフィクションなのである。お岩および田宮家にしてみれば迷惑な話である。

縁切寺というのは、陽運寺の他にもあるのかと思って検索した処、「十大縁切良縁寺社」があり、陽運寺は5番目にリストアップされていた。第1位~4位および第6位~10位の順は以下の通りだ。

・立石寺(山形県)
・満徳寺(群馬県)
・門田稲荷神社(栃木県)
・鴻神社(埼玉県)
・豊川稲荷東京別院(東京都)
・東慶寺(神奈川県)
・安井金比羅宮(京都府)
・石切劔箭神社(大阪府)
・龍王院宗圓寺(高知県)

学生時代の4年間は石切神社の比較的近くに住んでいたが、そういうご利益の神社だったとは知らなかった。外国には縁切教会・縁切寺院があるのだろうか。少なくとも離婚を認めないいカトリックにはないだろうね。