世界の絵画界の巨匠ピカソ。フルネームはパブロ・ピカソとばかり思っていたが、正式な名前はそんなに短くないようだ。ある人のFB投稿によれば、ピカソのフルネームは、

 

パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・フアン・

ネポムセーノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・シブリアー

ノ・センティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ

 

人名の羅列のようだから、ピカソは誰の子でいかなる先祖・由来かを表しているという想像はつく。実際、ピカソのフルネームは以下の意味だそうだ。

 

お前は神が与えた人間である 神の恵みである 聖母マ

リアの救いである 渦巻く三位一体 それはキリスト教徒

の戦いである  ツルハシ便利。

 

最後の「ツルハシ便利」は何か異質なものの挿入のようだが、これも先祖の説明だそうだ。それは「ピカソの先祖はイタリア・ジェノバ出身で、ジェノバ方言 "picassu" は〈先細ツルハシ〉のこと。先祖がツルハシを使って仕事をする芸術家だった。これがピカソの由来」という。納得。いずれにしても長~い名前だが、日本だって負けちゃーいない。落語ではあるが「寿限無」ってぇのがある。

 

じゅげむじゅげむ  ごこうのすりきれ  かいじゃりすいぎょの  

すいぎょうまつ  うんらいまつ  ふうらいまつ  くうねるところ

にすむところ  やぶらこうじのぶらこうじ  ぱいぽぱいぽ  ぱ

いぽのしゅーりんがん  しゅーりんがんのぐーりんだい ぐ

ーりんだいのぽんぽこぴーの  ぽんぽこなの  ちょうきゅう

めいの  ちょうすけ

 

実に長い。ピカソの場合は人名が羅列され、先祖の説明であることが何となくわかるが、寿限無の方は単にカナ記号が並んでいるだけのように見える。噺家はよく覚えるものだと感心する。だが、表意文字の漢字交じりにすると、ちょっとはわかりやすくなる。

 

寿限無 寿限無、五劫のすりきれ、海砂利水魚の水行末、

雲来末、風来末、食う寝るところに住むところ、やぶらこう

じのぶらこうじ、パイポパイポ、パイポのシューリンガン、

シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピ

ーのポンポコナの長久命の長助

 

難解な部分はまだ多いが、カナ記号の羅列よりはわかりやすい。これからすると、どうも寿限無は「子どもの幸せ・長寿を願って〈長助〉という名前にした」と言っているようだ。だから、名前は「長助」。あとは、親の願いを言っているに他ならない。寿限無はピカソのようなフルネームではないので、名前の長さという点では負け。もうひとつ長~い名前 (?) の例をあげる。

 

ちちはもときょうとのさんにして せいはあんどう  なはけい

ぞう  あだなはごこう  はははちよじょともうせしが  さんじゅ

うさんさいのおり  あるよるたんちょうのゆめをみてはらめる

がゆえに  たらちねのたいないをいでしときは  つるじょとも

うせしが  せいちょうののちこれをあらため  きよじょともうし

はべるなり

 

これは「たらちね」という落語に出てくる。長屋住まいの八五郎が嫁を貰ったときのこと。八五郎が嫁に名前を尋ねると、嫁は上記のように言う。これを聞いた八五郎は長~い名前だと驚く。これを漢字交じり文すると以下のようになる。

 

父はもと京都の産にして、姓は安藤、名は慶三。あだ名を

五光。母は千代女と申せしが、三十三歳の折、ある夜、丹

頂の夢をみて孕めるが故に、たらちねの体内を出でしとき

は、鶴女と申せしが、成長の後これを改め「清女」と申しは

べるなり。

 

何のことはない。名前は「清女」、町人風に言えば「お清さん」だ。漢字を思い浮かべながら自己紹介を聞いていればすぐわかる筈だが、何しろ学問などとは無縁の八五郎。その上、屋敷奉公あがりの嫁はやたら丁寧な言葉を使う。それで八五郎は、自己紹介全体を名前と勘違いしたという噺。

 

落語の2例は表音文字の不便さを大袈裟に且つデフォルメされたストーリーで語っているのだが、実際にこういうことはあるのだ。10年余り前に韓国・釜山に出張したときのことだ。韓国語がわからないので、日本語専攻の現地女子大生に通訳して貰って半日くらい釜山周辺にある歴史的スポットを観光した。具体的なことは忘れたが、「ハングルは表音文字なので、今日の韓国人の殆どは、建物名や企業名を見てもその意味合いや由来が理解できないのです。それは非常に残念なことです」と彼女がボソッと言ったのを私は覚えている。

 

ハングルを制定したのは15世紀、当時の朝鮮王・世宗だそうだ。当時の支配層は漢字を使っていたが、それでは一般庶民に学問が普及しないので表音記号としてハングルを作った。それが支配層にまで使われるようになり、いろいろな経緯があって、今日のハングル一辺倒に至っている。

 

私自身が確認した訳ではないが、ある記事によれば、ハングルでは「素数」も「小数」も同じ発音と綴りだという。また、「防水」と「放水」「防守」などの区別がつきにくいそうだ。ベトナムも20世紀まで公文書は漢字だったが、フランスが植民地にしてアルファベット表記に変わった。韓国と同じようなことがあっても不思議ではない。

 

日本でも戦後間もなくの頃、日本語ローマ字表記論があったそうだ。漢字は字数も画数も多いので面倒ではあるが、それがなければ不便・不正確・非効率極まりない。ローマ字表記にならなくて本当によかった。他国の文化についてはどうこう言うべきではないが、中国以外の漢字文化圏では、日本語のように表音文字と表意文字を組み合わせて使うのが一番いいように私には思えるのだが・・・。