私は普段、記事書いたり、最近は映画を作ったりしながらセックスがもっと性別関係なく安心して楽しめるものになって欲しいなーって思って日々生きてるんですけど。
じゃあなぜそんなことを願うのか、思うのかというところがありまして。まぁ原因は1つ!自己肯定が低いからなんですよね。
どういうことかと言うと、自己肯定感が低いがあまり、セックス依存症になってしまった過去があるからです。
穴がある体を持っていることが差し出せる全てだった。
私は女として、どころか人としての価値が自分の体にしかない。と割とガチで思っていました。スタイルに自信があるとかそういうんではなくて、雑なこと言いますが穴に棒をいれたいんだったら、穴くらいは提供できます、それに加えてあなたが欲しいことは与えられるって信じてたからなんですよね。
当時からセックスに関することを友人にはあけすけに話していたので、セックスに詳しい私であることは女子大で過ごす私にとってはいいアイデンティティでもあったし、行為はもちろん、不安感を埋めてくれるから結構いいものかなあとは思ってました。
ただ今思うと結構異常で、24時間以内に同じラブホテルに違う人と入ったり、自分が気持ちよくなることは考えずひたすら相手が求め続けることを与えたり。嫌な思いしても次行けばいいか、と消費的に行動していました。このフェーズは記憶を消すための作業として、セックスしてた節もあったなあ。
そんなこんなで最終的には体も心もどっちもぶっ壊れちゃいまして、生理は止まらんわ、死にかけて人に迷惑かけるわで結構最悪でした。超反省。
結局、自分で自分をコントロール出来なくて、ね。力ずくで人に止めてもらわなきゃ止まれなかったんですよ。嫌な思いや危ない経験は結構してて、それでもレイプされなくてラッキー、妊娠しなくてラッキーだった。それだけ。今でもその時言われたこと、されたこと、したこと、頭に残って寝れない夜があります。
そんな経験を踏まえて、そもそもセックスに対する地盤がしっかりしていれば、多少この世の中から不幸は消えてくれるんじゃないかなーて。だから
- セックスがNOと言える環境であれば。
- ゴム無しなんて最悪だろ!と叫べる社会であれば。
- むしろ、ゴムどれがいいかななんて相談できる環境があれば。
- 女の子がセックスを楽しんでいてもいいとされている世の中であれば。
過去の私のような思いをする人がいなければ、それが一番いいなと。本来3大欲求だし、脅かされるものではないとは思うから。 社会をちょっとかえる、その一端を担う人間にはなりたいなあ。