ほんの少し前まで私は悪夢の中にいた。時刻は早朝3時20分すぎか。
仕事があるし…と頑張ったが眠れそうもないのでこんな時間だけど書くことに。
昨日から今日まで母は社員旅行。家には私と兄。
兄が私に手を出すのを私が(殺してもらおうと思ってのめった蹴りで)止めさせたのは高校2年に上がる前ぐらいの時。それからもう11年経つ。
だけど悪夢はその間も、そして虐待を受けていた時も、「現実の体験」として何度も繰り返し甦った。
ふと気付くとあいつが現在の私の布団に潜り込んでいて、私の足の間にあいつの太った顔があった。
「こいつ、また……。やめたと思ったのに裏切った!!」
私はこの夢が始まるといつも同じことを思う。夢だとはまだ気付いていない。
私の足首を掴む指の一本一本、這いまわる舌の感触まであまりにリアルなのは、何故なら私の体(つまりは脳)に過去、現実に起きたことの記憶が刻み込まれているから。
おまけに夢の中の私は虐待を受けていた頃より11年分歳をとって現在の私となっている。夢を現実と錯覚してしまうのも無理からぬこと。
「性暴力の被害者は、それを一度でも受けたら最後、そのあとの人生を過去の記憶に苦しみながら生きていく」。そういう話を、ネットなどで見かけたことはないだろうか。
私の体験しているこの現象がまさにそれ。たとえば「夢の中で魔法が使えた!」とかなら現実にはならないだろうが、
「夢の中で性暴力を受けた」なら、目を醒ました時に体は無傷でも、精神はレイプを受け傷ついた後の状態となっている。ただの夢が、心に負った現実の傷として実体験になるのだ。
しかも実際に被害を受けたことがある者は、さっきの悪夢が幻であろうが、過去に受けた現実と体に残る感触は消えない。消せない。さっきのは夢でも、自分がレイプされたことは夢じゃない。
悪夢の中の私は子供だった頃と同じ対応をとっていた。隣の部屋で母が寝ていて(旅行に行って居ない筈だということを忘れている)、その母に気付かれぬように何とか穏便に、あいつを追い払おうともがいた。
すると場面がとんで、あいつの不健康ないびきが聞こえてきた。
「エッ、寝たのか!?あいつまだ私の足を掴んだまま、私の布団で?このまま朝になったら、母がこの有り様を見つけてしまう!起こさないと…私から触りたくないけど…」
子供の頃もそうだった。私は被害者でありながら、起こっていることを周囲に隠すという、加害者にとっては好都合なことをしてしまう。それが家庭内の性虐待の特徴だ。
子供は家庭が無くては生きられない。だから家庭を壊したくない。加害者も家族、だから手加減しなければならない。家庭を失いたくないなら…。
このルールを破り、たとえば兄の頭をブロックでかち割ろうかなどという考えが生まれた時は、「どうして、大事な家族を殺そうなんて思っているんだ?私はそんなに酷い奴なのか?」と次の瞬間には涙を流している。「明日からはきっと全て終わる。だって夢なんだから」――そう自分に言い聞かせ、また犯されては「何故!?どうして!?」と絶望して…その繰り返し。
現実を「これは夢なんだ」と誤魔化していたことが現在の私に影響を与えているのだろうか?11年の間、この手の悪夢を何度も見てきた。夢の中で何度も「目覚め」を繰り返し、「なんだ夢か、良かった」と思ったらまだ場面がとんだだけで、悪夢から醒めていない。しかし目覚めた筈なので、その光景をまた「こっちが現実か!せっかく夢から醒めたのに、現実でも結局は…」と思い込む。厄介なのは、その「目覚め体験」自体が夢であるということ。
「終わったと思ってた虐待が再び…」
「あれ、目が覚めた。良かった夢か」
「え!?まだあいつが居る!やっぱり現実でも犯されてるじゃないか!!」
「あれ?目が覚めた。良かっ…うわ!あいつが私に乗っかったままいびきを!今度こそ現実だ!!起きろ豚野郎!!」←蹴ったら足を掴まれ動きを封じられる。あいつが勝ち誇って笑い、目が合った瞬間ショックで呼吸が出来なくなる。
「おい、どうした、大丈夫かー?」とあいつが言いながらチャンスとばかりに私の胸を揉みしだいてくる。こっちが死にかけていようがお構いなしか。いっそ死体の方が大人しくて従順で好きなんじゃねえのか?こいつ…。
そして呼吸がおかしくなったことでようやく現実世界に戻ってこれるが、「これも夢か?まだあいつが部屋の中にいるんじゃないか?」と辺りを見回す。
聞こえていた不健康ないびきは、現実の私の耳が聞いていた本物のあいつのいびきで、それがそっくりそのまま夢の中でも聞こえていた。あいつが私の足を掴んでニタニタと笑っていても、いびきが聞こえ続けていたので変だと思っていたが、そういうことだったようだ。
現実で起きたことを夢の世界に持っていって、夢の世界で負った傷を現実に持ち帰る。そういうこと。
これが被害者の、生きていかなければならない人生。
しかも私の場合、1回のレイプじゃなく100回はやられてるから、自分自身に誤魔化しのきかないレベルまで克明に「現実」が刻み込まれてるんだね。
こんなふうに「もう来ないよね?大丈夫だよね?」と怯えながら、兄と未だに共同生活してるのって、私はどうなってしまっているんだろうね。
もし来たら今度こそぶっ殺して自分も死んでやろうと思ってるのに、何故か夢の中では殆ど無抵抗。子供の頃の自分がそうだったからなのかね…。
頭の中のある部分だけ、虐待を受けた当時の子供のまま、時が止まっている。