過保護の違い

1人で生きる覚悟


自分が幸せになるとは

相手に幸せにしてもらうのではないと

いうことを知ったのは最近かもしれない。


なんとなくはわかっているつもりでも

自覚するとなると

自覚した途端に絶望も一緒にくるからだ

今まで信じていたものが

壊されるような感覚


掃除をして

心も磨かれていく

というのは本当だと思う


誰かに幸せにしてもらうという

甘えを

なくすというのは

小さい頃から結婚して当たり前だと

思っていたことと結びつく気がする


結婚しなかった場合の夢を

私は考えていなかった


小さい頃から

大学に行き

23歳くらいで結婚すると

思っていた。


自分の力で働いて生きていく

とは思っていなかった


そう思っていたから

あの頃は就職活動に精がはいらず

どうせ結婚して辞めることになる

という前提で生きているから

何事も疎かになっていたように感じる


周りも結婚している人が多かったからだろうか。


なぜあんなに当たり前に

思っていたのか



今彼氏がいない同僚をみていて

昔の私をみているようで

さとしてあげたいが

自分の殻からぬけだせるのは

自分しかいないこともわかっている



周囲がもたらす環境というのは

ほんとに自分の意識へ

深く関わることがわかる。


今まで当たり前だと自分の中に

存在していた意識は周りが作り出しているからだ。

人、家、職場、、



1番母だと思う。



母を否定するわけではない。

こういう考え方ができる自分は今とても好きであり

感謝でしかない。



母も自立しているようで

どこか人に甘えるところがある

その甘えはほんとに否定すべきものかは

わからない、


ただその甘えは子にも同じように

影響されてしまう可能性は高いように感じる。



母が無意識に当たり前に

行っている習慣、意識は

当たり前というだけに

それは常識であると

子に植え付けられるのではないだろうか。



常識=世間も同じという

考え方になってくるように感じる



掃除を通し、

習慣を変えることで

その当たり前は

当たり前でなかったことに

やっと気づいた。


自分を変えるには

やはり環境を変え、

習慣を変え、

自分の心も一旦スッキリさせる

ことが

幸せへの1歩をはじめることだと思った。


ただ後悔があるとすれば

もっと早くに今の心の持ちようになりたかったと思う。


そしたら

もっと人生は生き生きとしたものになったように思うからだ。


これを読む

誰かも

スタートはなるべく早い方がいい。


幸せはすぐそばに

あるものだ。


幸せに気づくと世界はほんとにアニメの世界のようにキラキラしている。


過保護の話はまた今度