相変わらずの逃避。
究極的なものを脳内に冷静にイメージをすることができるようになったのは、先日のちょっとしたドライブのおかげかもしれない。
自分の中の究極だからさ。
もちろんそれは一つの解答なわけで。
誤答かもしれないけれどね。
ただ迷いがなくなっていけば。
毎年自分が無くなるこの時期だからね。
モノクロームの世界を通り過ぎていく。
でも、ライブすらなくなるかもしれないっていうことでしょう。
いいよ、それならそれで受け入れる。
一度あの場所には行ったことがあるからって言って、違う場所に行っても、また最初の場所に戻りたくもなる。
夏の北山崎にでも。
知り合いの父が亡くなったそうだ。
私は、何を思えばいいんだろう。
そういうことだったりする。
だんだんと“もうひとつのこと”は思い出さなくなる。
たまには違う文体に逃げたり。
東欧の街を歩いてみたいと思ったり。
でも、今日はまだ2月で肺炎の脅威が舞う、単なる繁忙期なんだ。